今回のブログは、
ジブリ映画の名作『もののけ姫』の考察と解説を書かせて頂きたいと思います!
『もののけ姫』(もののけひめ)は、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画作品。監督は宮崎駿。1997年(平成9年)7月12日公開。宮崎が構想16年、制作に3年をかけた大作であり、興行収入193億円を記録し当時の日本映画の興行記録を塗り替えた。
この作品も大ヒットしましたね。
確か、僕が小学校低学年の時に放映されました。家族で見に行きました。
僕はビビりだったので、序盤の「祟り神」がワサワサしてるシーンでもう怖く、その後に出て来る「コダマ」の存在が妙に怖く、極めつけに「猩々(しょうじょう)」の台詞が超怖く、ぜんぜん映画に集中できませんでした(笑)
その後もう少し大きくなってから、金曜ロードショーか何かで、何回も見ました。
・・・当時は、この映画のテーマについて、こう思っていました。
『敵対する、森と人間』
『自然愛護』
『自然を大事に』
こういうテーマの映画だと思っていました。
確かに、ジブリの多くの映画には『自然を大事に』というメッセージが含まれていると思います。
そしてこの『もののけ姫』にも、このメッセージは含まれていると思います。
・・・しかし、今はこう思います。
この映画のメッセージ・テーマは、これだけじゃない。
もっと深く、もっと社会にとって価値のある学びが詰まっている。
そう思います。
・・・
今回のブログでは、ジブリ映画『もののけ姫』の、
奥深いメッセージ・テーマを考察し、読み取り、解説します。(あくまでも僕の主観です)
そして解説の中で
- 謎のあるシーン
- 謎のあるキャラクター
- 深くて意味がよく分からない台詞、名言
という部分も、解説して来ます。
最初にお伝えしておきますが、僕の主観です。
考察し、根拠で固めながら、解説をしていこうと思っていますが、正しいかどうかは分かりません。
僕のブログを読んで頂きながら、読者の皆様と一緒に考えて行きたいと思います。
・・・なお、ネタバレありです!
また、この『もののけ姫』という作品は、
歴史的観点から見ても、すごく深く、よく出来て居ます。
その観点からの他の方のブログを読むと、本当の面白いです。
しかし、そこまで書くとあまりにも文章が長くなってしまいますので、
今回は『メッセージ・テーマ・謎』という部分に絞って、考察をします。
- メッセージ・テーマ
- 歴史的事実の引用
- エンターテイメント性
それぞれが奥深く、まさにハイクオリティです。
宮崎駿監督は、まさに天才です。
では、始めます。
Contents
[su_heading size=”19″ margin=”10″]結論的テーマ・メッセージ[/su_heading]
まずは、この映画の「テーマ・メッセージ」からお伝えします。
最初に結論をお伝えして、後からその裏付けをしていく。
というスタイルで、書かせて頂きます。
【結論的テーマ・メッセージ】
『世の中に溢れる“対立”』
『“違い”から生まれる“対立”を超えて、皆が共に生きるには?』
『対立を超えた共存、共生、共栄の道とは?』
『生きるためには?』
もののけ姫のメインテーマは、結論的に言えば、こういうテーマです。
・・・ここから、なぜこの結論なのか。なぜこのテーマなのか、という事を解説して行きます。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]『もののけ姫』の中の、対立構造の明確化[/su_heading]
まずは、
今一度、もののけ姫のストーリー、内容を思い返してみて下さい。
・・・思い返せましたでしょうか・・・
僕には、こう見えます。
この映画には『対立』が、溢れている。と。
まず、この映画をご覧になった、ほとんどの方が知っている“対立”は
『森VS人』
ですね。
…しかし、これだけではないのです。
考察をしていきましょう。
森の中の対立構造
『森』の中にも、対立が描かれています。
【山犬・イノシシ・猩々(しょうじょう)】
それぞれ『森の神々』という設定ですが、それぞれ主張や立場が違い、
森の中でも、対立構造がありますよね。
- エボシを殺してたたら場を無力化して、森を取り戻したいという、山犬。
- 同胞を殺された恨みから、人に復讐したいという、イノシシ。
- 人と同等の力を手に入れて、森を取り戻したいという、猩々。
ざっくり、『森』の中でも、こういう主張や立場の違いがあり、対立しています。
人の中の対立構造
『人』の中にも、対立が描かれています。
【たたら場(エボシ)・侍(アサノ公方)・唐傘衆(天皇)】
- エボシをリーダーとし、人間の弱者を救い、発展するために森を切り開いて鉄や火縄銃を作っている、たたら場。
- 戦争で勝つために、たたら場の作る鉄や火縄銃が欲しい、侍(アサノ公方)。
- 天皇の命令で、たたら場と森の対立構造を利用し、たたら場の力を使って、シシ神を狩りたい、唐傘衆(天皇)
という、立場の違いから生まれる対立があります。
また、大きく分けて、こういう対立構造もあります。
【虐げるもの(他国、侍、唐傘衆)・虐げられるもの(売られた人、ハンセン病、弱き民)】
後ほど詳しく解説しますが、
たたら場で働いている人たちは、エボシが救った「虐げられていた人たち」です。
人身売買で売られていた、女性。
ハンセン病を患い迫害されていた、ハンセン病患者。
エボシはこういう人を救い、引き入れ、人権を与え、たたら場で共に生きています。
その「虐げられている人たち」の、対立軸には、「虐げている人たち」がいます。
奴隷商人、ハンセン病に対して偏見を持った他の集団。
映画では描かれていませんが、こういう存在が居て、この対立が生まれています。
個人の中の感情の対立
僕的にはここが面白いです!
『もののけ姫』の中では、さらに『個人の中の対立』も描かれています。
どういう事でしょうか?
つまりそれは、『感情の対立』です。
主に、主人公のアシタカの中で描かれていますが、
- 愛と、憎しみ
- 喜びと、悲しみ
など、主人公のアシタカの存在を通じて、
対立している感情。つまり『感情の葛藤』が多く描かれています。
『生と死』という対立
僕的にはここも面白い!
シシ神という存在を通じて、
『もののけ姫』の中では、さらに『生と死』という、対立も描かれています。
シシ神は、「生と死を司る神」として、描かれています。
『生と死』も、見方によっては、一つの対立です。
そしてさらに、この対立構造を通じて
- 対立を作るもの
- 対立に巻き込まれるもの
- 対立を利用するもの
- 中立に立ち、対立を埋めようとするもの
という立場の違いが、描かれています。
『キャラクターの数だけ、対立がある』と言ってしまっても良いほど、
この映画『もののけ姫』には、対立が溢れ返っています。
次は、各キャラクターの立場を明確にし、分析しながら、この対立構造をもっと考察していきます。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]キャラクターの立場の明確化[/su_heading]
Wikipediaで良くまとまっていますが、そこから抽出し、見解を加えて行きたいと思います。
同時に、そのキャラクターにまつわる『謎』についても、ピックアップしていきます。
アシタカ
17歳。祟り神に受けた呪いを解くために、蝦夷の村を離れ、シシ神の森に来た人。
立場は「中立」。
「森」「人」などという違いを、分けて考えない人。
対立を超えた、お互いの生きる道を目指している。
謎 呪いとは?呪いが発動する条件とは?
サン
15歳。人でありながら、山犬に育てられた人。
人でもなく、もののけでもない。
作られた対立に巻き込まれ、対立の間で揺れる人。
立場は、森の、ヤマイヌ派の立場。
モロと共に、エボシを殺し、たたら場を無力化し、森を取り戻す事が目的。
謎 サンとは何者なのか?
たたら場
製鉄工場。武器工場。
『人』が平和に暮らしている。
製鉄のために、森を刈り取り、森を破壊する事から、森と対立している。
たたら場の女たち
人身売買で売られていたところ、エボシによって助けられた人。
エボシのため、たたら場のために、働いている。
ハンセン病の患者
虐げられた人たち。エボシが助け、人権と仕事を与えられた。
エボシのために、たたら場のために、働いている。
エボシ御前
たたら場の代表。リーダー。
たたら場の人々のために生きる人。
謎 エボシとは何者なのか?
謎 エボシが抱える矛盾とは?
山犬
サンの母、モロ(CV. 美輪明宏)をリーダーとした、三匹+一人の集団。
エボシを殺し、たたら場を無力化する事で、森をもとの平和な状態に戻そうとしている。
イノシシ
たたら場(エボシ)に、同胞たち(ナゴの神)を殺された恨みから、
乙事主を中心として、復讐のために、たたら場を破壊するために、戦おうとしている。
猩々(しょうじょう)
人間の持つ力を奪い、同等の力を得る事で、相手と対等な立場で戦えるようになり、森を救いたいと考えている。
謎 猩々とは?何を比喩しているのか?
シシ神
森の代表者。生と死を司る、森の神様。
森のみんなが、基本的に尊敬している。
昼は人面の鹿のような姿であり、
夜は、デイダラボッチという、エヴァンゲリオンっぽい巨人の姿になる。
謎シシ神とは?
謎シシ神が命を奪う時と、命を与える時の違いは?
謎デイダラボッチはなにしているの?
謎シシ神が死んで、なぜ草が生えて来たの?
謎なぜ最後に、アシタカとサンがシシ神に首を返すとき、ドロドロを浴びて死ななかったのか?
謎なぜアシタカが序盤にシシ神と会った時、シシ神はアシタカの呪いを解いてくれなかったの?
ジコ坊・唐傘衆
天朝(天皇)(大和朝廷)と主従関係を結んでいる。
天皇の勅令で、あらゆる病を治すと言われている、シシ神の血を手に入れるために、シシ神退治にきた軍団(武僧と言われている)
森とたたら場の対立を利用し、苛烈化させ、そしてシシ神を退治しようとしている。
侍(アサノ公方)
人間同士、国同士の戦争に勝つために、
たたら場の鉄と火縄銃が欲しいという事で、たたら場に交渉する。
しかし交渉決裂し、たたら場と対立し、争う。
国々の状況と、時代の設定(歴史的背景)
『人間の対立』として登場する、人間のコミュニティを分けると
- 蝦夷の民(迫害)(アシタカの故郷)
- 大和朝廷(力低下)(力を取り戻したい)
- 国々・地侍(戦争に勝つために、力を着けたい)
- たたら場(鉄資源と武器を持っている)
ざっくりと、こうなると思います。
歴史的背景から見て、15~16世紀と言われている。
鉄砲が急速に普及した織豊政権より以前の戦国時代、と考えるのが自然(らしい)。
大和朝廷(渡来人)が、縄文人(蝦夷)を迫害し、北に追いやる。
そしてこの時代に天皇の力が減り、力(火縄銃・鉄・シシ神の血)を求める。
国々も、力の弱った朝廷を倒すために、力(火縄銃・鉄)を求める。
そして、迫害されていた縄文人の末裔であるアシタカが、中立の立場でこの争いを止めようとしている。
ざっくりと、こういう状況(らしい)です。
詳しくは、歴史に詳しい方々が丁寧に書いて下さっているブログを見つけましたので、外部リンクとして添付させて頂きます。
※今回のブログは、歴史的背景にはあまり触れずに行きます
・・・
このようにして、登場人物の立場と主張を洗い出すと、『もののけ姫』の中で描かれている対立構造が分かりやすいですね。
まあ、とにかく『様々な対立が溢れ、複雑に絡み合っている』と思ってもらうのが良いと思います。
それぞれに正義があり、
それぞれに言い分があり、
それぞれに意見があり、
それぞれに違いがあり、
そして、『対立』が生まれる。
対立は、必ず生まれてしまう。
対立を、どう捉えればいいのか?
対立を、どう超えていけば良いのか?
これが、この物語のテーマです。
次は、この作品の中にある【謎】を、登場人物の名言を裏付けにしながら、考察と解説します。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]【もののけ姫の謎解き・考察・解説・名言紹介】[/su_heading]
祟り・祟り神とは
~名言紹介~
「戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの」
ジコ坊
もののけ姫の中で『祟り』とは、
『憎悪の象徴的なもの』として、描かれています。
ナゴの神も、乙事主も、
憎悪が蓄積された結果、祟り神へと変貌しました。
アシタカの腕の呪いとは? 呪いが発動する条件とは?
さて、まずこの映画を見ていて気になるのは
『アシタカの腕の呪い(暴走)は、どういうタイミングで起こるの?』
という事です。
腕の祟りが発動すると、アシタカの意思と関係なく腕がグニャグニャと動いて、アシタカ本人も信じられないような力を発揮しています。弓矢で侍の腕を両断したり、大人数の力を使って開く門を一人で開けたりしています。
Wikipediaによりますと、この呪いとは「アシタカに爆発的な力を与えるが、代わりに少しずつ命を奪っていく」という事です。
【謎解き・考察・解説】
僕の解釈ですと、
⇒「アシタカの“感情の対立”から生まれる、感情の暴走」がきっかけとして、呪いが発動します。
【劇中で、呪いが発動したタイミング】
覚えている限りですと
- 最初の侍との戦闘「押し通―る!」
- シシ神を最初に見た時
- エボシと相対した時
- サンとエボシの戦闘を止める時
- 追っての侍との戦闘
たぶん、この5回です。
「シシ神を最初に見た時」は例外として考えています。
それ以外は、アシタカの怒りや、憎悪など「負の感情」が高まり、
アシタカがもとから持ち合わせている、優しさや、愛情など「正の感情」との対立・呵責が生まれた時に、腕の呪いが暴走しています。
腕の祟り(呪い)暴走=アシタカの必殺技
みたいな感じだと、昔は思っていましたが(笑)
そうではなく、
この腕の呪いの暴走を通じて
「誰にでも、人間ひとりの中にある、感情の対立、呵責」を描いていたのではないかと考えています。
そして、その感情の対立が長引くと「人の命を削る」という事まで描いていると思います。
・・・
感情の対立は、誰にでも起こる事です。
- 感情を表現したくても、出来ない状況。
- 怒りたくても、怒れない。
- 好きだけど、憎い。
- 良心としてはやってはいけない事を、やってしまう。
誰にでもある事です。
しかし、この「感情の対立」が解決されない状況が長引いている状態は、
心身にとって、毒です。
大げさに言えば、命を削っています。
だから、自分の感情と、うまく付き合うために学ぶ必要があり、
生まれた感情の対立は、その学びを活かして、出来る限り早く解決する必要があります。
・・・という事を、
この『アシタカの腕の呪い』を通じて、宮崎駿監督は伝えようとしたのではないでしょうか。
サンとは
サンはなぜ山犬に育てられているの?という謎についてです。
謎と言うか、作中でモロが解説してくれていますが、せっかくなので明確にしておきます。
~名言紹介~
「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか。森を侵した人間が、わが牙を逃れるために投げて寄越した赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い可愛いわが娘だ。…お前にサンを救えるか」
モロ
という事ですね。
たたら場が、山犬への生贄として捧げた子供が、サンという事です。
エボシとは
たたら場のリーダー、エボシ御前。
そもそも存在が謎でしたので、明確にしておきます。
Wikipediaでは、『作中では明かされて無かった裏設定で、過去に人身売買され、倭寇の頭目の妻にされるも、次第に組織を支配するようになった後、頭目を自らの手で殺害し明の兵器と共に日本へ帰ってきたという隠された出自が明かされた』と書かれています。
エボシ御前自身が人身売買され、迫害されていた過去があるがゆえに、同じように売られている女性を助けたり、病者として迫害されている人を救済したりして、たたら場で共に生きているのだと思います。
~名言紹介~
「賢しらに僅かな不運を見せびらかすな」
エボシ
「どうかその人を殺さないでおくれ。その人はわしらを人としてあつかってくださった、たったひとりの人だ」
ハンセン病の患者
エボシが抱える矛盾とは
さて、このエボシが抱える矛盾があるのを、ご存知でしょうか?
先述した通り、エボシは、人身売買の被害者など「人間の弱者」を救済し、製鉄工場や武器工場を営んで、共に生きています。
しかし、矛盾を抱えています。
人身売買も、もとのをたどれば原因は「戦争」です。
戦争による、捕虜、口減らし、人さらい。そういう事が大きな原因になっています。
そして、その戦争をサポートする産業である「製鉄工場」「武器工場」を営みながら、その戦争の被害者を救済している。
…つまり、シンプルに言えば、
『戦争をサポートしながら、戦争の被害者を救済している』
という事になります。
つまりエボシは、相反する活動、対立する活動、つまり矛盾を抱えているのです。
エボシ自身も、社会に作られてしまった大きな対立の中、
矛盾を抱えながら、生きています。
・・・あえて深くは突っ込みませんが、
現代社会に生きる多くの人も、よく見ると、こういう矛盾を抱えています。
簡単な例だと、海外支援の募金をしながら、フェアトレードじゃないチョコレートを食べる。みたいな事です。
猩々とは?何を比喩しているのか?
あいつら、めっちゃ怖いですよね(笑)
~名言紹介~
「ここは我らの森。そこの人間寄こせ。人間寄こしてさっさと行け」
「行け、行け、オレタチニンゲンクウ。その人間食う。その人間食わせろ。」
「人間食う。人間の力もらう。人間やっつける力欲しい。」
「木植えた。木植え、木植えた。みな人間抜く。森戻らない。人間殺したい」
猩々
・・・こいつら、アシタカを喰おうとしてましたね。
人間であるアシタカを食べて、人間と同等の力を手に入れて、人間に対抗しようとしている森の賢者です。
(猩々とは、サルっぽい生き物の事です)
・・・この猩々の存在は、何を比喩しているのでしょうか?
【謎解き・考察・解説】
当時の現実社会の社会情勢としても、戦争がありました。
『力を持たない国が、力を持っている国にと対等の力を持つために、核兵器を欲しがる』
こういった社会情勢を比喩しているのではないでしょうか。
そして、
~名言紹介~
「人間を食べても人間の力は手に入らない。あなたたちの血がけがれるだけだ」
サン
このサンの台詞のように、
人間を食べても、根本的な問題の解決にはならない。
対等な力を持とうとすることで、また別の争い、対立が生まれる。
という事にも、触れていると思います。
・・・そこから発展して考えを進めますと、
『対等な力を持っているから、対等に話せる』というのがおかしい。
同じ地球に生まれた生き物として、全ての人が対等に話せるようになるべきだ。
というメッセージが含まれていると、僕は解釈しています。
シシ神とは
シシ神は生と死を司る神です。
~名言紹介~
「シシ神は生命をあたえもしうばいもする。そんなことも忘れてしまったのか、猪ども」
モロ
シシ神は、命を与える事が出来て、奪う事も出来る。
そういう存在です。
シシ神が命を奪う時と、命を与える時の違いは?
前提となる生命の考えから、述べます。
生命は『生と死を両方同時に持っている』という事です。
~名言紹介~
「シシ神さまは死にはないよ。生命そのものだから…生と死とふたつとも持っているもの…わたしに生きろといってくれた」
アシタカ
生命について。
「生まれた瞬間から、死に向かっている」と考えても良いし、
「死ぬまで、生きている」と考えても良い。
そういう事です。
とにかく、生命は、生と死を同時に持っているものだと、僕は思います。
そして、『シシ神が命を奪う時と、与える時の違いとは?』なんなのでしょうか。
【謎解き・考察・解説】
難しい話になってきますが、少しずつ丁寧に解釈します。
『シシ神が命を奪う時と、与える時の違い』
今その人が、
- 『生』に向かっているか
- 『死』に向かっているか
- エネルギーを増大させる方向性なのか。
- エネルギーが減少していく方向性なのか。
- 与える事を喜びながら、死ぬまで生きるか。
- 失う事を恐れながら、死に向かって生きているか。
- もらう方向か、与える方向か
- 生かしてもらおうとするか、生きようとするか
・・・という事です。
これは、その人のマインド次第です、
難しいかもしれませんが、大きく分けて、人生はこの二つの方向性に分けられます。
~名言紹介~
「貴奴は死を恐れたのだ。今のわたしのように」
モロ
「人はいずれ死ぬ。遅いか早いかだけだ。
肝心なことは死に喰われんことだ」
ジコ坊
そして、先述した通り、
シシ神とは、『生と死を司る神』であり、
僕の解釈ですと
シシ神とは『調和を取る存在』です。
すこし、飛躍した話になります。(ここでは長くなってしまうので、いつかしっかり書きます)
宇宙は、調和・バランスを取るようにして、動いています。
バランスを崩しても、ちゃんとまた、バランスが取れます。
有るのは、常にランダムな変化であり、
その変化の、方向性です。
エネルギーを減少する事でも、バランスが取れます。
エネルギーを増大する事でも、バランスが取れます。
そこにあるのは、
エネルギーが増大しているか、減少しているか。
- 減少する方向性での、バランスが取れている状態は、『死』。
- 増大する方向性での、バランスが取れている状態が、『生』。
~名言紹介~
「シシ神の血はあらゆる病を癒すと聞いている」
エボシ
『死』の方向性での『調和』
『生』の方向性での『調和』
死ぬにしても、命を与えられて生きるにしても、
確かに、どちらにしろ、病は癒されています。
・・・さて、話しが難しくなって来ました(笑)
(飛ばして、次に行って頂いても結構です)
少し具体的に言うと、
恐れ、消極的に生きようとするなり、
『エネルギーをもらう事を優先する側』になると、行き着く先は『死』である。
希望を持ち、積極的に生きようとするようになり、
『エネルギーを与える事を優先する側』になると、行き着く先は『生』である。
という事です。
・・・
『生と死』という観点から見ると、分かりにくいので、
『会社経営』に置き換えて、考えてみましょう。
『生命』を『会社の存続と繁栄』という風に、
経営者の立場になって考えてみましょう。
- 長続きする人気のある良い会社=エネルギーが増大する方向性の会社
- やがて潰れる人気のない悪い会社=エネルギーが減少する方向性の会社
長続きする人気のある良い会社は、「与える事を優先する会社」です。
お客様に、価格以上の恩恵をもたらす製品やサービスを提供している会社です。
与える事を優先した会社経営だと、人気が出ます。そして、エネルギー(売り上げなど)が増大し、長続きします。
逆に、やがて潰れる人気のない悪い会社は、「もらう事を優先する会社」です。
分かりやすく言えば、ぼったくり商売です。
恩恵の少ないものを、高い価格で売りつける。
そういうもらう事を優先している会社だと、リピーターが居なくなり、人気が無くなります。そしてエネルギー(売り上げなど)が減少し、やがて潰れます。
・・・
簡単に言えば『生命』も、この『会社経営』と同じという事です。
- 与える事を優先する方向性だと、エネルギーが増大する。『生』に向かう。
- もらう事を優先する方向性だと、エネルギーが減少する。『死』に向かう。
という事です。
・・・すみません、色々すっとばし過ぎて、分かりにくかったかもしれません(笑)
とにかく、
シシ神は、その「調和をとる存在」であると思います。
- 死に向かっていれば、命を吸い取る。
- 生に向かっていれば、命を与える。
これまた会社経営で例えて言えば、
- お客様にとって恩恵のない会社なら、ダメージの少ないうちに潰すサポートをする。
- お客様にとって恩恵のある会社なら、もっと繁栄してもらうためにサポートする。
シシ神は、「調和をとる役割」であり、
会社経営風に言えば、外部の監査や、コンサルタントのようなものでしょうか?(笑)
(風の谷のナウシカの原作漫画の、巨神兵(オーマ)は“調停者”として描かれていました。映画版ナウシカでは描き切れなかった存在を、ここで表現しているのかもしれません)
~名言紹介~
「誰にも運命はかえられないが、ただ待つか自らおもむくかは決められる」
ヒイ様
デイダラボッチはなにしているの?
シシ神の夜の姿のデイダラボッチ。
あまり描写はありませんが、森を歩き回っているだけのように見えます。
彼は、何をしているのでしょうか?
【謎解き・考察・解説】
これは、先ほどの『調和』という役割から見ると、
『エネルギーの吸収と再分配』です。
シシ神がやっている事は、昼も夜も変わらなく、
ただ、夜の方が広範囲、という事ではないでしょうか。
『吸収した命を、森に広く再分配するために、夜に歩き回っている』
こう、解釈しています。
シシ神が死んで、なぜ草が生えて来たの?
シシ神の首が取られて、デイダラボッチが暴走して、森や人からあらゆる命を奪った後、朝日を浴びてデイダラボッチは死にました。
そして、描写としては、草が生えてきたり、怪我が良くなったり、ハンセン病が治ったりしていました。
~名言紹介~
「シシ神は、花咲じじいだったんだ」
甲六
【謎解き・考察・解説】
これも、調和を取るシシ神の役割であり、
命の吸収と、再分配の描写です。
命を吸って、たくさん吸って、
デイダラボッチが死んで、その吸った命が開放されて、飛び散って、
広い範囲に、その命が与えられた。
という事だと思います。
なぜ最後に、アシタカとサンがシシ神に首を返すとき、ドロドロを浴びて死ななかったのか?
この謎は、これまでの謎への解釈が使えます。
『アシタカとサンが、与える事を優先する方向性(『生』に向かう方向)を向いていたから』
という事です。
シシ神も、デイダラボッチも、役割は『調和』です。
先述した通り、『生』に向かっている人には、命を与えます。
~名言紹介~
「人の手でかえしたい」
アシタカ
アシタカ、そしてサンは、
死と向き合い、生と向き合い、
あらゆる対立している対象と向き合い、
自らが、主体的に、対立を解決しようとし、
対立している互いが、幸福になるために、対立と向き合った。
つまり、『生の方向性』『与える事を優先する方向性』を向いたうえで、シシ神と向き合い、シシ神に首を返した。
そして、シシ神は調和を取り、
命は奪わず、命を与えた。
そして、アシタカの腕の呪いは、治った。
という事だと思っています。
なぜアシタカが序盤にシシ神と会った時、シシ神はアシタカの呪いを解いてくれなかったの?
ではなぜ、アシタカが最初の方に大怪我をした状態で、シシ神に会った時に、
シシ神は呪いを解いてくれなかったの?
という事は、気になる所です。
~名言紹介~
「シシ神は傷は癒しても痣は消してくれなかった。呪いがわが身を食い尽くすまで、苦しみ生きろと」
アシタカ
【謎解き・考察・解説】
アシタカの立場は中立であり、
その時のアシタカは、自身の生死に対しても中立であり、
死にも、生にも、向かっていなかった。
死のうとも、生きようともしていなかった。
死を恐れても居なく、生に希望を持っても居なかった。
差し引きで言えば、少しだけ『生』を向いていた。
それ故に、シシ神は、
命を吸おうとも、与えようともしなかった。(呪いは解かずとも、怪我を治すくらいの命は与えた)
・・・という事だと、解釈しています。
そして、その後いろいろと経験し、
しっかり『生』の方向性を向いたアシタカは、
最後のデイダラボッチとの接触で、命を与えられて、呪いが解けた。
という事だと考えています。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]【もののけ姫のキャッチフレーズ】[/su_heading]
もののけ姫のキャッチフレーズを見ても、この映画の解釈に役立ちます。
キャッチフレーズを作ったのは、糸井重里さん。
最終的なキャッチフレーズは
「生きろ。」
それまでの候補として
「おそろしいか、愛しいか。」
「だいじなものは、ありますか。」
「おまえは、まぶしい。」
「昔々は、今の今。」
「死ぬのと、生きるの、どっちが好きだ。」
「死ぬなっ。」
というキャッチフレーズが挙げられていたとされています。
『生』に向かう方向性(与える事を優先する方向性)(他を愛する方向性)
『死』に向かう方向性(もらう事を優先する方向性)(自己のみを愛する方向性)
どっちが好きだ!?
というものが、このキャッチフレーズにも表れているのを感じます。
そして最終的には『生きろ。』というキャッチフレーズになりました。
そうです。
もののけ姫の中でもそうですし、
我々が生きる社会の中でも、この方向性を生きるべきなのです。
~名言紹介~
「生きろ。そなたは美しい」
アシタカ
次は、この作品のテーマである「対立」の【解決策】を、登場人物の名言を裏付けにしながら、解説します。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]【宮崎駿監督が本当に伝えたかったこと】[/su_heading]
そして、ここまで読んで下さった方には分かるかと思いますが、
最初にお伝えした結論的なテーマ・メッセージになってくるわけです。
『世の中に溢れる“対立”』
『“違い”から生まれる“対立”を超えて、皆が共に生きるには?』
『対立を超えた共存、共生、共栄の道とは?』
『生きるためには?』
というテーマ、メッセージが、宮崎駿監督が伝えたかった事だと、僕は解釈しています。
もののけ姫の中で、あらゆる対立が溢れ返っていたように、
我々の人生の中でも、あらゆる対立が、溢れかえっています。
しかし、誤解を恐れずに言えば、
『対立』が生まれるという事は、自然な事です。
人は、一人一人、違っていて当たり前なのです。
DNAが違い、生まれてからの経験が違い、性別が違い、感覚が違い、主張が違い、意見が違います。
人間一人一人、学んできた情報が違い、持っている情報が違います。
そして価値観も違います。
⇒その違いこそが『個性』であると、僕は思います、
みんな違っていて、みんな良いのです。
・・・そして、その違いがある事から、必ず『対立』は生まれます。
『対立』というと、大事のように感じてしまいがちですが、
日常的に、対立は生まれています。
シンプルに言えば、『意見の食い違い』『感覚の食い違い』などです。
- 会社の上司と意見が合わない、感覚が合わない
- 親と子供の間で意見が合わない、感覚が合わない
- 友達同士の間でも、意見が合わない、感覚が合わない
こういう『食い違い』つまり『対立』は、
違いがあるからこそ、
個性があるからこそ生まれる、自然なことなのです。
対立は、自然に生まれます。
対立は、違いから生まれます。
対立は、互いが持っている情報の違いから、生まれます。
そうであるからこそ、
対立を解消するためには、
⇒互いの足りていない情報を、互いに埋め合わせる事です。
つまり、対話をすることで、対立が解消されます。
そして重要なのが、
『どの方向性を向いた上で、対立を解消しようとするか?』
という事です。
もののけ姫の登場人物が最初そうだったように、
お互いが、「自分の事だけ」「自分が得する事だけ」「自分がもらう事を優先する事だけ」を考えていると、
対立は解消されないどころか、苛烈化します。
そして、その対立から生まれる争いに負けた方が、不幸になります。
「そうではない」と宮崎駿監督は言いたいのだと思います。
・・・もののけ姫の登場人物たちが、最終的にそうなったように、
これまであった感情的なトラブルや、自らの都合をゼロにして、根本的に考え直して
お互いが、お互いの幸福のために、
お互いが、相手の幸福を優先して、
その『生』の方向性を向いた上で、
お互いの目的を『お互いの生』という事を、合意したうえで、
その『対立』と向き合う。
そして、対話し、お互いに足りない情報を埋め合わせ、
その対立を解消し、お互いにとって幸福な、両福な状態へと、改善する。
こうあるべきだと、宮崎駿監督は、言いたいのだと思います。
~名言紹介~
「悲しみと怒りにひそむ まことの心を知るは森の精 もののけ達だけ」
もののけ姫のテーマ/作詞宮崎駿
「曇り無き眼でものごとを見定め、決める」
アシタカ
「いやぁ、参った参った。馬鹿には勝てん」
ジコ坊
曇り無き眼とは、感情や、欲得や、概念や、都合で曇っていない、『まっさらな見えかた』です。
ジコ坊にとっての馬鹿とは、『一般常識に縛られずに、まっすぐ行動できる人』というような意味です。
テーマソングの歌詞は、悲しみと怒りに潜んでいる誠の心を持つことが、重要だと言う意味です。
曇らず、縛られず、根本的に再思考したうえで、お互いの幸福のための、決断をする。という事です。
「黙れ小僧!お前にサンが救えるか」
モロ
「わからぬ。だがともに生きることは出来る」
アシタカ
「サンは森で、わたしはたたらばで暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ。ヤックルに乗って」
アシタカ
違っていて当たり前。違うものは、同じには出来ない。
でも、共に生きて、幸せになる事は出来る。という意味です。
「みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう」
エボシ
根本的に再思考して、人間にとっても、森にとっても、良い村を目指そう。というエボシの答えです。
「生きてりゃなんとかなる」
おとき
そうです。死ななければなんとかなります。
・・・もっと言えば、
アシタカのような『対立に対して中立で、互いの幸福を願う存在』がいればこそ、
その対立が解消され、
その対立が、お互いのための、価値のある対立になる。
という事も、言いたいのだと思います。
・・・
あなたにとっても、身近に、意見の合わない、対立している人が居るかと思います。
何度も言いますが、対立があるのは、自然な事です。
その対立を、出来る限り長引かせない事が、重要です。
互いに、相手の幸福のために向き合い、
互いに、互いの足りない情報を埋め合わせる。
そのために、対話をする。
これを積み重ねる事で、
その対立は、解消され、
お互いに、幸福な結果になって行きます。
『対立は、お互いの事をより深く知るための、きっかけである』
『対立は、お互いがより幸せになるための、きっかけである』
こう考えて、今ある対立と、向き合いましょう。
・・・余談ですが、
この社会としての問題は、
もののけ姫で、ジコ坊や天朝側の人たちがそうしていた様に
- 『対立を利用する事で、利益を得る』
- 『利益を得るために、不自然な対立を作り出す』
- 『そして、あらゆる手で感情的なトラブルを作り出して、その対立が対話によって解消されないように、対立を意図的に長期化させている』
という、人たちがいます。
「自然な対立」は、向き合い方次第で、良い対立になります。
しかし、作られた「不自然な対立」というものも、世の中には溢れています。これは悪い対立です。
・・・追記・・・
この「作られた不自然な対立」を具体的に言えば、
「Divide and conquer」(分割統治)というやつが有名です。
分割統治(ぶんかつとうち、英語:Divide and conquer、ラテン語:Divide et impera)とは、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法。分断統治とも。被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる。統治者が被統治者間の人種、言語、階層、宗教、イデオロギー、地理的、経済的利害などに基づく対立、抗争を助長して、後者の連帯性を弱め、自己の支配に有利な条件をつくりだすことをねらいとし、植民地経営などに利用された。
噛み砕いて説明しますと、
「利己的な支配者」にとって困るのは、自分たちの地位が覆されることです。
そうなり得るのは、被支配者、つまり民が、同じ方向性で団結する事です。
そうさせないために、支配し続けやすくするために用いられる統治の手法が、
上記の「Divide and conquer」(分割統治)(ディバイド アンド カンカー)という事です。
〈それまでありもしなかった対立軸〉を作る事で、民を分断し、対立させ、まとまらなくさせ、統治するための手法です。
・・・そして、僕が思うにですが、これは今でも行われている事です。
【例】
- ~賛成派、~反対派
- タバコ吸う人、タバコ吸わない人
- ~宗教の人、~宗教の人
- ベジタリアンの人、肉を食べる人
- 右寄りの人、左寄りの人
互いに、互いを
「あいつらは何も分かってねえ!」
と、対立し、罵り合っています。
・・・でも考えてみてください。
こういう対立って、もともとは「誰かがつくったもの」ですよね?
最近、タバコを吸う人をすごく毛嫌いする、タバコを吸わない人がいるように、
些細な違いだったはずなのに、気づいてみれば、感情的な大きな対立になってしまっています。
そして、そう言った不自然な対立が数々作られて、
民はまとまらず、悪い支配者たちに支配され、いいようにされています。
・・・まず、考えるべきは、根本的な方向性を統一する事です。
シンプルに「より良い未来を作ろう」が良いと思います。
そして、その根本的な方向性のもと、根本的に再思考していくためには、「真実」が必要です。
嘘じゃない情報、真実の情報がちゃんと集まれば、
この「より良い未来を作ろう」という根本的な方向性のために、どうしたらいいか?という真実の方針を決めて行くことが出来ます。
・・・嘘の情報、偽の情報がはびこっている社会だからこそ、
皆が、対立を超えて集まって、腹を割って話して、真実の情報を共有しあう事が必要だと、僕は思います。
・・・追記終了・・・
[su_heading size=”19″ margin=”10″]【宮崎駿監督と鈴木敏夫プロデューサーのエピソード】[/su_heading]
調べていて知ったのですが、
『もののけ姫』というタイトルを巡って、
宮崎駿監督と、鈴木敏夫さんの間で、対立があったそうです。
映画がほぼ完成したある日、鈴木プロデューサーのもとに宮崎が訪ねてきて「鈴木君、タイトル変えようと思うんだけど、『アシタカ聶記』でいこう」ということになり話はそこで終了した。鈴木敏夫プロデューサーは直感的に「もののけ姫」というタイトルが気に入っていたので、テレビCMも「もののけ姫」のタイトルで強行して制作した。制作後、宮崎はタイトルが変わっていないことに気付いたが、特に問い詰めなかった
Wikipedia参照
・・・という、これもまた対立です。
相手の感覚を理解し、自分の主張より相手の主張の方が、お互いのために効果的であれば、
快く、自分の主張を取り下げて、相手の主張を優先する。
これもまた、良い対立だと思います。
個人的にも「アシタカ聶記」より「もののけ姫」の方が、売れたんじゃないかと思います。
[su_heading size=”19″ margin=”10″]【もののけ姫の裏話・ウンチク】[/su_heading]
「キャラクターの名前の由来」
宮崎駿監督の奥さんの別荘があると言われている
〈長野県諏訪郡富士見町〉の地名が由来になっている、名前が多いそうです。
長野県諏訪郡富士見町乙事
という場所から「乙事主」
また、富士見町には「烏帽子」「甲六」という地名があるそうです。
また「ジコボウ」というキノコが採れるという噂があります。
「コダマは、トトロの先祖?」
もののけ姫の最後の最後に出て来たコダマが、
何やかんや進化して
トトロになったそうです。
ほんまかいな!笑
「サンとアシタカの、その後」
宮崎駿監督いわく
「二人はその後、しょっちゅう会っている」
との事です。
・・・・・僕ね、言葉の使い方とかにすごく敏感なんですけど、
「しょっちゅう会っている」
って、なんかすごく男女らしい表現だと思いません?(笑)
「生々しい表現」と言ってしまっても、良いほどです。
考え過ぎでしょうか。そうですか。
でも、その後二人がハッピーになって行く事への、‟監督のお墨付き”がもらえたわけですから、嬉しい事ですね。
~名言紹介~
「二人はその後、しょっちゅう会っている」
ハヤオ
[su_heading size=”19″ margin=”10″]最後に[/su_heading]
さて、本当に長々と読んでくださりましてありがとうございました。
僕の解釈が、正しいとは限りません。それは、宮崎駿監督本人にしか分からない事です。
でも、良い作品は、より価値のあるメッセージを掘り下げて、より価値を高めたい!
というのが、僕の信条です。
この「もののけ姫」という映画
- メッセージ・テーマ
- 歴史的事実の引用
- エンターテイメント性
どれをとっても、最高です。
やはり、宮崎駿監督は天才だなあと、深々と思います。
では、ありがとうございました!
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次の記事にもご期待いただけますと、幸いです!
初めまして。
昨日もののけ姫のリバイバル上映を見てきました。
テレビ放映やVHSやDVDで何度見たかわからない回数を見てきた作品ですが改めて劇場での大画面、音響を感じると新しい発見や疑問や物語の深さを感じました。
今まで疑問だったことを調べると色んな方の考察が出てきましたが、かつぜんさんのこの考察はとっても素晴らしかったです!!
物語自体が深すぎて考え付かない私にもわかりやすく感心する内容で感激です。
大好きなもののけ姫をより深く理解できて良かったです!
すごく嬉しかったのでコメントさせて戴きました。
ありがとうございました(^^)
ヒメシマ様
初めまして!素敵なコメントを下さりまして誠にありがとうございます!励みになります。
ジブリ作品のリバイバル上映がやっているらしいですね!ぼくも行きたいです。
あくまでもぼく個人の考察ですので、正しいかどうかは分からないですが、
作品の大ファンの方に感激していただけて、嬉しい気持ちでいっぱいです!
素敵なコメントをありがとうございます(^^)
かつぜんさん
初めまして
ジブリ好きでありナウシカ、アシタカに憧れ、そう生きたいと思って試行錯誤中
ふと、思いつき誰かの考察により更にそこに近づけるヒントがないかと検索して読ませて頂きましたが駿さんの正解,不正解の問題ではなくかつぜんさんの考察事態にすごく感銘を受け自分の中の目指したい理想の世界に深みが増したことに感謝したく思わずコメントいたしました
今、もののけ姫を観た後にたまたまこの考察を読ませて頂きましたが、映画を何度も何度も観ているのに全く思いもつかなかった事を考えておられ一瞬でもののけ姫の観る視点、観る世界、価値観が変わりました
様々な情報により不安や不信感が煽られ、対立や争いが生まれている今
今まで死に対して意識が薄かった世界中の人々が死を間近に感じるようになった今
このもののけ姫から学べるものは沢山あるように思います
というか、かつぜんさんの考察で更に広がると思います
どうすれば世界が一つになれるのか?
同じ方向に向いて共存出来るようになるのか?
死に向かって生きるのか?
生に向かって生ききるのか?
小さな小さな命により考えさせられている私たちにヒントになる考察で感動しています
ほんとにありがとうございます
カゼタニ様
素敵なコメントを下さりまして、誠にありがとうございます。
そう言って頂けて、本当に励みになります。
コメントに書かれている気付きが湧き上がる、カゼタニさんの心が素晴らしいです。
ぼくにとっても、理想的な男性像は「アシタカ」、女性像は「ナウシカ」。この信念があります(笑)気が合いますね!
おっしゃる通りです。新型ウイルスによって、世界中の人々の心も体も経済も大変なことになってしまいました。
そして、その歪みから、様々な新しい対立が生まれてしまっているのも感じています。
「これまでの常識」が大きく崩れてしまいました。
一方で、こういう状況だからこそ、「新しい常識」「新しい人生観」「新しい社会観」というものに目覚める人が増えてきているように感じます。これが希望です。
一度、これまでの常識を捨てて「どうやったら皆が幸せになれるか?」と皆で根本的に新しく考え直す。このチャンスだと思っております。
そのためには、もののけ姫にもあるように、「対立を乗り越えてお互い向き合う事」「互いの真実を共有し、追求し、磨き続ける事」。この「対話」という活動が必要不可欠だと思っております。
ぼくの夢として、今はネットだけですが、ゆくゆくは現実の場所として、こういう「自由に束縛なく集まって語り合える場所」を創っていきたいです。
こういう気づきを与えて下さる宮崎駿監督は、本当に天才です。
素敵なコメントをありがとうございました!
ぜひまた、コメントでも、相談でも、雑談でも、メッセージを頂けますと嬉しいです(^^)
かつぜんさん
コメントの返信をありがとうございます
かつぜんさんの対話を通して創りたい世界と私の創りたい世界は大きく駿さんの影響を受けてかぶるところがありそうです
もっと詳しくかつぜんさんの世界を教えて頂けると嬉しく思います
カゼタニさん
ありがとうございます!
今はInstagramとブログのみですが、
ゆくゆくはYouTubeも本格的に始めて行こうとしております。
このサイトでも色々と告知して行きたいと思っておりますので、その時はぜひ宜しくお願いします!
コメントやメッセージを通じて、情報を共有して参りましょう!(^^)
Very nice!!!!
thank you!(^^)