今回は、新海誠監督作品「天気の子」の考察・謎解き・解説の記事になります!
これまで、宮崎駿監督のジブリ映画を中心に考察してきた当ブログですが、
このたび、初、新海誠監督の作品の考察をしていきます。
なお、がっつりネタバレのある記事ですので、まだこの映画を見ていない方はお気を付けください。
すでにこの映画を見た方に向けて、
この映画に隠された「根本的なテーマと、衝撃的なメッセージ」を丁寧に考察してまとめた記事になっております。
…天気の子は「ただのラブロマンス」という認識ではもったいないほど、価値のあるメッセージが詰め込まれている映画だと思っております。
Contents
導入パート
【天気の子とは?】
『天気の子』(てんきのこ、英語: Weathering With You)は、新海誠監督による日本のアニメーション映画作品。2019年7月19日公開。第44回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門出品作品。キャッチコピーは「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」。
前作『君の名は。』から3年ぶりとなる、新海の7作目の劇場用アニメーション映画。『君の名は。』に引き続きRADWIMPSが音楽を担当しているが、ボーカルの野田洋次郎は前作以上にストーリー展開を決める話し合いにも参加しており、音楽監督としての職務も担っている
Wikipediaより参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B0%97%E3%81%AE%E5%AD%90
新海誠監督の前作である「君の名は」は、
日本国内において興行収入【250.3億円】を記録し、
興行収入ランキングで歴代4位を記録しております。
ハリーポッターやアバター抑え、4位ですからね。これはすごい事です。(それにしてもジブリが強い)
邦画としては、千と千尋の神隠しに次ぐ、歴代二位という事になります。
そしてさらに、世界での興行収入は【3.58億ドル】であり、
『千と千尋』の2.75億ドルを超えて日本映画および日本のアニメ映画で世界歴代興行収入1位となったとされています。
…新海、ハンパないって!!
・・・その偉業ともいえる実績を積み上げた、新海誠監督の「君の名は」の、
次の作品にあたるのが、この「天気の子」です。
監督自身、相当なプレッシャーがあったのではないでしょうか。内容やクオリティ、そして興行収入という部分は、どうしても前作と比べられてしまうと思います。
ぼく個人としては、この前作のプレッシャーがかかる中で、
「どんなテーマの新作を作るのか?」という、疑問と、期待感がありました。
- 安パイのような、エンターテイメント性の高い作品を作るのか?
- それとも、深いテーマを持った、挑戦的な作品を作るのか?
要するに「守りに入るのか、攻めに行くのか、どちらを選ぶのか?」という、疑問や期待がありました。
…そして先日、ぼく、見に行ってきました。
ぼくのInstagramのストーリーより
…一度見た率直な感想としましては
「社会に対する深いテーマをもった、挑戦的な作品だ」と思いました。
要するに〈攻めに行っている作品〉です!
社会に対して問題提起をして、映画を見ている聴衆に問いかけてくるような、挑戦的な作品です。
そして、扱っているテーマが素晴らしく。本当に、すべての現代人が考えるべきテーマです。
重いテーマではありますが、そのテーマに対して全ての現代人が「当事者」として「自分事」として考えてほしいという、新海誠監督の意思を感じる作品でした。
…
この考察記事では、
『新海誠監督が伝えたかった、その深いテーマとは、メッセージとは、何なのか?』
という事を中心に、考察していきます。
そして、その考察をもとに、作中の意味深な部分、謎な部分についての「謎解き」というものを、していこうと思います。
…あくまでもぼく個人の、主観的な考察です。(そもそも考察とは、主観的なものです)
そして、10人いたら10人の、違った見え方、違った考察があるという事が素晴らしい事であるとぼくは思っています。
その中で、「こういう見方をしたら、深くない?価値高くない?」
という意思でもって、この映画の価値をより高めるために、この記事を書いております。
できる限り、複雑な表現を使わず、シンプルに分かりやすい考察を心がけております。
その気があれば、小学六年生でも理解できるように意識して、文章を書きました。(また、そうする事が天気の子のテーマとして、必要な事だと考えています)
10時間くらいかけて丁寧に書いた分、長めの記事になってしまいましたが、
その気になれば、10分で読めると思います。
- 導入パート(いまここ)
- テーマの読み取りと問題提起パート
- アンサーパート
- 謎解きパート
- まとめパート
という順番で、丁寧に解説していきたいと思います。
時間があるときに、少しずつ読み進めていただけましたら幸いです。
そしてさらに、あなたの「見え方」を後押しするような記事になれば、幸いです。
では、始めていきます。
テーマの読み取りと問題提起パート
【新海誠監督が「天気の子」で伝えたかったテーマとメッセージ】
まずはいつも通り、
『この作品で監督が伝えたかった、テーマとメッセージは何なのか?』
という結論的な部分から、書いていきます。
これを先に書いて、後からこれを理解するための考察を書いていきます。
これを先に書くことで、後の謎解きや考察がより分かりやすくなります。
…ぼくが考察するに、新海誠監督が伝えたかったテーマとメッセージとは
この「暗く、閉塞感のある社会」の中を生きる
子どもたち、そして大人たちは
未来のために、どう生きたら良いのだろうか?
自分や他人を犠牲にせず、
大事な人や、大事なものを犠牲にせず、
この社会で、どうやって生きればいいのだろうか?
…そしてその「答え」とは?
というテーマであると、考察しております。
※その「答え」の部分は、記事の最後の方に書きます。
・・・重々しいテーマですが、だからこそこれを表現している「天気の子」は、価値のある作品だと思っております。
まずは、なぜぼくがそのように考察したのか?という部分を、解説していきたいと思います。
【登場人物のおさらい】
まずは、登場人物をざっとおさらいしていきたいと思います。
- 森嶋帆高(CV:醍醐虎汰朗) 家出をして離島から東京に出てきた少年。
- 天野陽菜(CV:森七菜) 東京の片隅で弟と二人きりで暮らす少女。
- 夏美(CV:本田翼) 須賀圭介の事務所で働いている大学生。
- 冨美(CV:倍賞千恵子) 東京に住む老婦人。
- 天野凪(CV:吉柳咲良) 陽菜の弟。
- 安井(CV: 平泉成) 初老の刑事。
- 高井(CV:梶裕貴) 安井の相棒刑事。
- 須賀圭介(CV:小栗旬) 東京で小さな編集事務所を営んでいる。
※後ほど分かりますが、「須賀圭介」が最後に来ている事に、意味があります。
…とにかく、配役が豪華でしたね。
【世界観から、テーマ・メッセージ・謎を読み解く】
まずは、「天気の子」の設定における〈特徴的な世界観〉を読み解いていくことで、
この作品の根本的なテーマとメッセージが浮かび上がって来ます。
雨が降り続けている社会
まず、どう考えても特徴的な世界観としましては〈雨が降り続けている東京〉という部分です。
大前提として、この映画の中では〈ずっと雨が降り続けている〉という現実があり、
それをどうにかするために主人公たちがアプローチしていくという事が、物語の中心になっています。
この〈ずっと雨が降り続けている現実〉というものを、いかに解釈するかで、
天気の子のテーマは、大きく変わって行きます。
〈雨が降り続けている〉という世界観を通じて、新海誠監督は何を伝えたかったのでしょうか?
ここから読み取れるテーマとメッセージ
これはつまり、
「雨が降り続けている」という世界観を通じて、
『この暗く、閉塞感のある日本の現実社会』というものを、表現したかったのだと思います。
〈雨〉というものは、しばしば、
〈暗い現実〉というものを表現するために用いられてきた比喩表現だと思っています。
例えば有名どころだと、井上陽水さんの楽曲「傘がない」ですね。
都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない‐井上陽水「傘がない」の歌詞より‐
引用元:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36540
このようにして、「天気の子」でも、
〈雨が降り続けている〉という世界観の描写を通じて、
『この暗く、閉塞感のある日本の現実社会』というものを、表現しているのだと考察しています。
そして、さらに言えば、「天気の子」は
この雨が降る、閉塞感のある暗い社会をどうにかするために、主人公たちがアプローチしていく物語。
という、テーマを持った作品であると考察できます。
…あなた自身に置き換えて、考えてみていただきたいです。
この社会を生きるあなたは、閉塞感(へいそくかん)を、感じていませんか?
現代社会において多くの人が、
閉塞感、生きづらさ、息苦しさというものを、心の奥底で感じていると思います。
一言で言えば慢性的なストレスですし、さらに言えば未来への希望(晴れ)を感じる事が難しい社会になってしまっているという、現実があると思います。
『この現実をどうにかしたい』という監督の意思を、この作品からぼくは感じております。
天気を晴らす「晴れ女」という役割を持った人がいるという世界観
「晴れ女」という役割を持った人が祈りをささげる事で、雨が止んで、天気が晴れる。
だけれども、「晴れ女」はその役割を果たすと、消えてしまう。
つまり「晴れ女」は、皆のために雨を止ませて天気を晴らすための、人柱であり、犠牲になっている。
…こういう世界観が、この映画の中にはありましたよね。
新海誠監督は、この表現を通じて何を伝えようとしているのでしょうか?
この「晴れ女」の解釈も、この映画を読み解く上で重要になってきます。
ここから読み取れるテーマとメッセージ
「晴れ女」という表現を通じて
『誰かが犠牲になる事で成り立っている、この社会の否定』
『大事な何かを、大事な誰かを犠牲にしないと生きられない、この社会の否定』
というメッセージを伝えようとしていると、ぼくは感じております。
…現実として、この社会は、このような状態になってしまっています。
この社会の暗さを生み出している〈社会システムの歪み〉のしわ寄せが、
立場の弱い人、優しい人、若い人という対象へ、向かってしまっています。
言ってしまえば、この社会的が生み出すストレスは、より立場の弱い方へ弱い方へ、向かっていきます。
弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く
‐THE BLUE HEARTS「TRAIN-TRAIN」の歌詞より‐
引用元:http://j-lyric.net/artist/a00734c/l005808.html
そして、その立場の弱い人、優しい人、若い人という対象が犠牲になる事で、
このストレスばかりを生み出す社会は、ギリギリのところで、成り立っている状態です。
加えて、
〈大事なことや、大事な人を、本当の意味で大事にすることができない社会〉です。
普通に生きるために、大事なものを犠牲にしなくてはならない社会です。
例えば、
- 大事な家族のためにお金を稼ぐために、家族との時間を犠牲にしなくてはならない、とか。
- 大事な自分の人生観を捻じ曲げて、社会に合わせて生きなくてはならない、とか。
- 大事にしたい本音を言えず、建前で生きなくてはならない、とか。
⇒この社会には、こういった現実が、あります。
「大事なものを大事にできる」なんてことは、本来は、当たり前に実現できる社会でなくてはなりません。
…しかし現実は、そういう社会では、なくなってしまっています。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ POISN
‐反町隆史「言いたい事も言えないこんな世の中は」の歌詞より‐
引用元:https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65023
僕らは変わって行く 守りたいものが変わって行く
理解されない宝物から 理解されるための建前へ‐SUPER BEAVER「らしさ」の歌詞より‐
引用元:https://www.uta-net.com/song/170903/
「何かの犠牲の上に成り立つ社会」
「大事なものを大事に出来ない社会」
「本音より、建前を優先しなくてはならない社会」
…いまの社会には、こういう現実があります。
新海誠監督には、これをどうにかしたいという、意思があったのではないでしょうか。
【キャラクターから読み解くテーマとメッセージ性】
次は、主要な登場人物の設定や、作中での変化を読み解くことで、
「天気の子」のテーマやメッセージ性を考察し、解説していきたいと思います。
まず、登場人物の特徴としましては、
「子ども」と「大人」という分かれを、象徴的に描いていると思います。
…当たり前のようなことに感じてしまう事ですが、
実はここに、大きなメッセージがあると、ぼくは考察しています。
森嶋帆高(もりしま ほだか)の設定とテーマ
この映画の主人公。
何らかの原因で家出をして、故郷の離島から一人で東京に出てきた、高校1年生で16歳の少年。
しかし、家出少年という弱い立場において東京での生活は苦しく、仕事にもつけず、ネットカフェやマックで雨を凌いで夜を明かす生活をしていた。
そしてヒロインである天野陽菜(あまの ひな)と出会い、恋に落ちる。
最終的に、社会のために犠牲になってしまった天野陽菜を助けたい、連れ戻したい、一緒に居たいという一心で、
社会を敵に回した、大きな行動に出る。
…ざっくりですが、こういう設定とストーリーを持ったキャラクターでしたよね。
帆高が表しているテーマ
主人公の帆高のキャラクター設定を、世界観、そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると
社会のレールから外れて生きる事に苦悩する子ども。
立場の弱い自分を乗り越えて、誰かを守れるように、大人になりたい子ども。
「大人になるということは、大事なものを犠牲にできるようになることなのか?」という、悩みと呵責を抱いている子ども。
というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。
そして〈帆高の変化と決断〉が、この物語のテーマへの、アンサーになっていきます。
天野陽菜(あまの ひな)の設定とテーマ
この映画のヒロイン。
「晴れ女」の力を持っている子。
18歳と偽っていたが、最終的に実際は15歳の中三であり、帆高より年下であったことが判明する。
弟と二人で暮らすために、経済のために、年齢を偽ってマクドナルドで働いていた。その後クビになり、風俗バイトに勧誘されそうになっていたところ、帆高に止められ、助けられる。
最終的に「晴れ女」の力を使って、天気を晴らすが、人柱(犠牲)となり消えてしまう。
という設定のキャラクターでしたよね。
陽菜が表しているテーマ
ヒロインの陽菜のキャラクター設定を、世界観そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると
この社会で大事な人を守るために、
大人になって、自らを犠牲にしなくてはならない子ども
というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。
- 弟との生活のために、年齢を偽って働いて、風俗店で働きそうになるという設定。
- 皆のために、社会のために、晴れ女の役割を果たして人柱(犠牲)になるという設定。
こう言った設定から、この考察が生まれます。
この陽菜が抱えているテーマと同じテーマを、我々が生きる現実社会も抱えています。
須賀 圭介(すが けいすけ)の設定とテーマ
この映画の、重要な役割を持つ大人。
東京で小さな編集事務所を営んでいる。喘息を患っている幼い娘(萌花:もか)を溺愛しているが、死別(?)した妻(明日花:あすか)の母の元に引き取られているため自由に会えない。
船上で帆高を助けた縁がきっかけで、仕事に困っていた帆高を雇うようになる。
よく「帆高と須賀は似ている」という事を、周りから言われる。
最終的に、帆高がお尋ね者になった時に、「娘との生活を選ぶか、帆高を助ける事を選ぶか」という選択に迫られる。
という設定のキャラクターでしたよね。
須賀が表しているテーマ
須賀のキャラクター設定を、世界観そしてストーリーの展開と照らし合わせて考察すると
この社会で大事なものを守るために、
大事なものを犠牲にしなくてはならなくて、苦悩する大人。
というテーマを表しているキャラクターであると、考察しています。
主人公の帆高と、「対(つい)」になるキャラクターです。
帆高が「大人になるということは、大事なものを犠牲にできるようになることなのか?」という、悩みと呵責を抱き、
須賀は「大事なものを犠牲にできる、その大人になってしまった自分」というものに、悩みと呵責を抱えています。
天気の子では、帆高と須賀の「対」となる描写を重ね合わせて、
- この社会を生きる子どもたちは、どう生きれば良いのか?
- この社会を生きる大人たちは、どう生きれば良いか?
という、子どもの視聴者、大人の視聴者に対して、
それぞれ問いかけをしています。
…そして、帆高と須賀の、変化と決断を通じて、
その問いかけへのアンサーを、出しています。
他人(モブ)について
加えて、他人(モブ)という登場人物にも、メッセージ性が込められているように見えます。
この作品には、他の作品と比べると、かなり個性豊かな他人(モブ)が登場します。
まずここに、メッセージ性を感じます。
家出をして東京に出てきた主人公の帆高に対して、周りの人の対応は冷たかったですよね。(ネットカフェの店員、風俗店のスタッフやボーイなど)
その中で帆高は、孤独感を覚え「東京は怖い」というセリフをよく口にしていたという描写が印象的でした。
次いで、主人公の帆高はよく、ヤフー知恵袋のようなウェブサイトで、他人に対して相談をする描写があります。
しかし、冷たい答えや、いわゆるクソレスしか返ってこないという、描写がありましたよね。
…このあたりにも、メッセージ性を感じます。
他人(モブ)が表しているテーマ
もちろん〈いい他人・モブ〉とういキャラクターも登場しましたが、
新海誠監督は、この印象的な〈冷たい他人・モブ〉を通じて、
家出少年の帆高に対して冷たい他人を描くことで、
社会のレール、社会のセオリーから外れてしまった人は、
この社会では冷遇され、冷たく扱われ、明るく生きる事が出来ないという社会の実情を描いている。
と感じています。
自分の生活の事で一杯一杯になり、他人に手を差し伸べている余裕のない現代人の実情を描いているのではないか?
と感じています。
…そして、物語の展開としましては、
そんな孤独な帆高に対して、ヒロインの陽菜や須賀が手を差し伸べて繋がったことで、帆高の東京での生活は明るくなっていきます。
また、個性豊かな他人(モブ)に関しましては、監督へのインタビューに答えがありました。
誰もが無関係でない映画にするために、新海監督はメイン以外のキャラクターも奥行きのある人物にすることを心がけた。上京したばかりの帆高を殴った典型的な悪役であるスカウトの男も、物語の終盤には柔らかな表情を見せる姿が短く描かれる。
新海「モブをモブとして描かないようにして、見ている人が、『これって私かもしれない』と思えるような人物になればと考えていました。
本来モブって、見ていてノイズにならない目立たない顔にすることが多いのですが、『天気の子』では、ちょっと個性的な人が多くでていると思います」新海誠インタビューより引用
https://www.cinematoday.jp/interview/A0006781
要するに、視聴者が自分と重ね合わせるようにして共感し、「当事者」として考えられるようにするために、個性豊かな他人(モブ)を登場させたということです。
そして、助けてくれない冷たい他人と、助けてくれた温かい登場人物を対比する事で
- 手を差し伸べる事
- 繋がる事
という事の重要性を、示しているのだと考察しています。
加えて、登場人物を通して、
この社会を生きる「子ども」と「大人」を、特徴的に分けて描くことで
- この社会で生きるために、子どもはどうしたら良いのか?
- この社会で生きるために、大人はどうしたら良いのか
という、子どもと大人への、それぞれへの問いかけと、そして答えが用意されていると考察しています。
【ここまでのまとめ】
さて、ここまでいろいろ書いてきた考察をまとめます。
【キャラクターとストーリーから読み解くメッセージ性】
- 「普通の生き方」「社会のセオリー」という1本のレールを外れてしまったら生きていけない、この社会への疑問
- この社会で大人になるという事は、大事な何かを犠牲にしなくてはならなくなる、という事への疑問
つまり
大事なものを犠牲にしたくない。
自分の本心を犠牲にしたくない、子どもと、大人。
でも、そうなってしまう、そうしないと生きられない、この社会。
自分たち生活の事で一杯一杯になり、他人を助ける余裕がない、この社会。
他者への愛を優先する事が許されない社会。
自分や他人を犠牲にせず、
大事な人や、大事なことを犠牲にすることなく、
この社会で、どうやって生きればいいのだろうか?
そして
この暗く、閉塞感のある社会の中を生きる、子どもたち、そして大人たちは
未来のために、どう生きたら良いのだろうか?
…そしてその「答え」とは?
・・・というメッセージを投げかけてくる作品だと、
ここまでの考察で、感じております。
アンサーパート
↑上記までが、「天気の子」の考察の、
「問題提起パート」になります。
『天気の子は、聴衆に対して何を問いている映画だったのか?』という部分を、解説して来ました。
ここからは、「アンサーパート」になります。
つまり、その「問いかけへの答え」を、考察し、解説していきます。
【ストーリーの展開と、キャラクターの変化から読み解く、問いかけへの答え】
ここまで問題提起として、
愛を優先する事が出来ない社会
こんな社会で、どうやって生きればいいのだろう?
という問いかけがあると、ここまでで解説して来ました。
「天気の子」の中で、ストーリーが展開する中で
主人公の帆高も、この問いかけについて悩み、煩悶しました。
具体的には、
- 「この社会のセオリーに従い、この社会ために愛を犠牲にする事を選択するか」
- 「それとも陽菜への愛を優先して、社会のセオリーから外れようとも、愛を犠牲にしない選択をするか」
という選択に迫られ、煩悶しました。
…そして物語のクライマックスでは、
結果として、主人公の帆高は
「社会のセオリーから外れようとも、愛を優先する」という選択しました。
その結果として、ひなを助ける事が出来ました。
…もう少しかみ砕いて説明しますと、
愛を犠牲にしないということを選択し、
「大事なものを大事にし続ける」ということを選択した。
その「愛のある方向性で、他者と繋がり続ける」ということを選択した。
その結果、社会は変わらなかったが、
大事な人を犠牲にせず、大事なものを大事にすることができた。
愛を優先する事が出来た。
そして、主人公たちと、この社会の、明るい未来が開けていく。
・・・という、ストーリーの展開と、主人公たちの選択があったと思います。
この展開と、この選択こそが、
先ほどの「問題提起と問いかけ」への【答え】だと思っています。
【問いかけへの答え】
つまりは、
「愛を優先する事」
「愛の方向性で他者と繋がり続ける事」こそが、
この暗い社会で犠牲にならずに生きるために、必要なことだ
というアンサーだと、考察しています。
・・・「愛」というと、色んな解釈や翻訳があると思いますが、
ぼくは簡潔に、
愛とは「与える事を優先する事」だと思っています。
人は誰しも、「もらい」「与え」ながら、生きています。
「他者からもらう事」を優先しなくてはならない社会から、
「他者に与える事」を優先する社会になるべきだ。
という、メッセージを感じます。
「もらう事を優先する社会」
つまり
「誰かが犠牲になる事で成り立つ社会」を変えていくために
一人一人が、愛を優先し、
その愛の方向性で人と繋がっていくことこそが、
この暗い社会で、生きるために必要なことであり、
この暗い社会を、明るく晴らしていくために、必要なことである。
というメッセージを、感じます。
【ラッドウィンプスの歌詞の意味の考察から読み解く、答え】
ラッドウィンプス(RADWIMPS)が担当している、天気の子の主題歌
「愛にできることはまだあるかい」の歌詞を読み解くと、答えが出てきます。
『君の名は。』に引き続きRADWIMPSが音楽を担当しているが、ボーカルの野田洋次郎は前作以上にストーリー展開を決める話し合いにも参加しており、音楽監督としての職務も担っている
序盤に引用したWikipediaの記事にもありましたが、
ラッドウィンプスの野田洋次郎さんは、この映画のストーリー展開を決める話し合いに参加しています。
つまりは、当たり前ではありますが、この天気の子のテーマソング「愛にできることはまだあるかい」の歌詞の中には、新海誠監督の伝えたいメッセージが、矛盾なく、かなり盛り込まれているという事になります。
以下、歌詞になります(ボタンを押すと出てきます)
何も持たずに 生まれ堕ちた僕
永遠の隙間で のたうち回ってる
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神も どこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける
それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる
世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今もここにいる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることは まだあるかい
運命(サダメ)とはつまり サイコロの出た目?
はたまた神の いつもの気まぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしくは遥かな 揺らぐことない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会と
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と
許し合う声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい?
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることは まだあるかい
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい
答えてよ
愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした
そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
引用元:http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l04ce5f.html
・・・このラッドウィンプスの「愛にできることはまだあるかい」の歌詞は、
問題提起パートで挙げた「聴衆への問いかけ」と
アンサーパートで挙げた「その問いかけへの答え」が、
情緒的な詩でもって盛り込まれた、歌詞だと考察しています。
歌詞の意味を少し考察すると、
1番、2番で問題提起と問いかけをしています。
例
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神も どこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける
⇒こんな社会では、息苦しい。
⇒こんな社会では、おかしい。
⇒こんな社会でも、愛にできることはまだあるのか?
そしてこの曲のクライマックスで、問いかけへの答えを表しています。
⇒愛にできることは、まだあるよ。
⇒こんな社会でも、愛にできることはまだあるよ。ぼくたちにできることままだあるよ。
⇒愛があるから、こんな社会を生きて、明るく変えていくことができるよ。
・・・という意味の歌詞だと、ぼくは考察しています。
ストーリー展開から読み取っても、
テーマソングの歌詞から読み取っても、
天気の子は、この【問いかけと答え】を持った作品であると、
ぼくは考察しています。
謎解きパート
問題提起パート
アンサーパートと続き、
…ここからは、お待ちかねの、「謎解きパート」に入ります。
「天気の子」の作中には、
- 一見して、よく分からない描写。
- 一見して、謎な描写。
という、意味深なシーンが、多々あったと思います。
(ぼくはこういうシーンを心の中で“意味シーン”と呼んでいます)
ここまでで、この映画の「問題提起」と「その答え」。
つまり【天気の子】のテーマと、メッセージと、答えというものを理解できた人は、
その理解がカギとなり、
この映画の意味深な謎の部分を、この理解をもとに読み解いていくことができます。
ここでは、ぼくがこの映画の中で、特に重要だと思った「謎」について、謎解きをしていきたいと思います。
【主人公・帆高の「家出の理由」について】
家出をして東京に来たという設定の帆高ですが、
「家出の理由」については、結局最後まで明かされませんでした。
この部分の謎解きとしましては…
新海誠とともにこの映画を作り上げた、プロデューサーの川村元気さんが、インタビューで答えていました。
川村「1900万人を超える方に見ていただいた『君の名は。』のあとの映画だからこそ、
多くの人にとって『天気の子』が“当事者の映画”になってほしいなと思っていました。みんな子どもの頃に、家や学校、住んでいる町から一度は出てみたいという思いにかられたことがあると思うんです。
作中で具体的な過去エピソードを描くよりも、まったく描かないことによって見る人が自分の人生で補完するようになればという話をしました。かつては帆高のような思いがあったけれど、社会と折り合いをつけた須賀のようなキャラクターもいる。
大人の観客にもかつて誰かを強く思っていたことを思い出してほしい。そんなふうに、子どもや大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、みんなに当事者になってほしいと願いながら、新海さんと何を描いて何を描かないかを決めていった記憶があります」
引用元:https://eiga.com/movie/90444/interview/
・・・つまりは、この映画を見ている視聴者が「自分事」「当事者」として、この映画のテーマについて考えるために、
キャラクターと自分を重ね合わせられるようにするために、
あえて「家出の理由」や、「過去」について、描かなかったという事です。
【印象的なモブについて】
すでに謎解きした部分ですが、
この映画には、他の映画と比べて、特徴的で印象的なモブ(他人)が沢山でてきます。
・・・ここも、興味を惹かれる「謎な部分」だと思います。
その答えは、
上記との謎と同じように、視聴者がキャラクターと自分を重ね合わせて共感し、
当事者としてこの映画のテーマにつて考えられるようにするため。
という事になります。
誰もが無関係でない映画にするために、新海監督はメイン以外のキャラクターも奥行きのある人物にすることを心がけた。上京したばかりの帆高を殴った典型的な悪役であるスカウトの男も、物語の終盤には柔らかな表情を見せる姿が短く描かれる。
新海「モブをモブとして描かないようにして、見ている人が、『これって私かもしれない』と思えるような人物になればと考えていました。
本来モブって、見ていてノイズにならない目立たない顔にすることが多いのですが、『天気の子』では、ちょっと個性的な人が多くでていると思います」新海誠インタビューより:https://eiga.com/movie/90444/interview/
【須賀圭介についての謎】
「天気の子の謎解き」として、
最も力を入れて行いたいのが「須賀圭介」についての謎です。
死別した須賀の奥さんは「晴れ女」だった!?
作中の須賀は、
「晴れ女」について、主人公たちよりも以前から知っていたかのような描写が、多々あります。
例えばですが、
夏美が陽菜に対して「晴れ女は、天気を晴らす人柱(犠牲)になる運命だ」という旨を伝えたことを須賀が知ると、
須賀は夏美に対して「お前、人柱の事、伝えたのか!?」みたいな感じで、激怒していましたよね?
我々聴衆は『あれ、何で須賀、晴れ女についてそんなに詳しいの?』『なんでそんなに感情移入して怒っているの?』という疑問が湧いたかと思います。
そしてこの他にも、「須賀の奥さんが晴れ女だった」と仮定すると納得のいく、
須賀の、帆高や陽菜への対応が、多々ありました。
ここからは描かれていない、想像での謎解きになりますが、
・・・
須賀の娘は喘息もちで、「雨の時に喘息の発作がひどくなる」という描写がありました。
そして奥さんが「晴れ女」であり、
娘のために、晴れ女として天気を晴らし、人柱(犠牲)になるのを止める事が出来なかったという過去が、須賀にはあるのではないか?
・・・
と考察しています。
この〈須賀の奥さんは晴れ女だった〉という解釈をもとに
これまで行ってきた考察と照らし合わせると、須賀が表現しているメッセージが読み取れます。
須賀は、大事なものを犠牲にしなくてはならない社会を、受け入れた。
つまり、この社会で言うところの「大人」になってしまった。
と、読み取れます。
「もう少し大人になれよ、少年」
という、須賀の口癖から読み取るに、
大事なものを犠牲にしなくてはならない社会を受け入れられるようになる=
この社会の常識に従い、大事なものを諦められるようになる=
それが、大人になる事。
・・・これでいいのか?
大人は、この社会を生きるために、これでいいのか?
という、監督の強いメッセージを感じます。
【指輪の対比の謎】
須賀が左手にはめている、2つの指輪は、
おそらく、自分と奥さんの、それぞれの結婚指輪であると、考察しています。
そして、須賀がクセのように、その指輪に触れるシーンが印象的でした。
奥さんが晴れ女として犠牲になり天界に消えてしまい、残って空から落ちてきた指輪を、須賀は指にはめているのではないでしょうか?
そして、主人公の帆高も、陽菜へのプレゼントとして指輪を選んでいました。(アクセサリーショップの店員は“君の名は”の三葉でしたね)
この「須賀の指輪」と「帆高の指輪」は、それぞれ対になっていると考察しています。
そもそも、指輪は、
〈愛する人への贈り物〉という要素の強いアクセサリーだと思っています。
そして、須賀と帆高の指輪を対比させることで、
- 「社会のセオリーに従い、大事なものを、大事にすることができなかった」須賀
- 「社会のセオリーに抗い、大事なものを、大事にすることを選択した」帆高
という、似ているけど違う、二つ面を表しているのではないか?と、ぼくは考えています。
【涙の対比。「大丈夫?」の対比の謎】
指輪と同じくして、
「須賀が無意識のうちに流した涙」と
「帆高が無意識のうちに流した涙」」も、
対になっていると考察しています。
須賀の涙は、
安井刑事から、帆高が警察署から逃げ出したこと、そして「将来を棒に振ってまで会いたい子がいる」ということを聞かされされたときに、無意識のうちに流れていた涙でした。
社会のセオリーに抗い、大事なものを大事にする姿勢を貫く帆高を感じ取り、
奥さんが晴れ女になって犠牲になってしまった時のことを思い返し、
『本当は、自分もそうしたかった』『大事なものを、大事にし続けたかった』
という、自分の本音に気付いたからだと、考察しています。
そして、安井刑事に涙について「あんた、大丈夫か?」と問われても、
何も答えられない、須賀がいました。
一方の、帆高の涙は、
物語のラストシーンで、陽菜と再会した時に、無意識に流れ落ちる涙でした。
これはおそらく、愛するものを優先し、大事なものを大事にしたという自らの選択を正しいかどうかが分からなかった帆高が、3年ぶりに陽菜と再会して「自分の選択は正しかったのだ」という安堵感からの涙なのではないかと、考察しています。
そして陽菜からの「…大丈夫?」という問いかけに対して、
「ぼくたちは、大丈夫だ」という、答えを出しています。
・・・この一連の、
「涙」と「大丈夫」の対比から読み取れるメッセージは
- 本当は、愛を犠牲にすることなく、大事なものを大事にしたいという、大人の本音。
- 愛を優先し、大事なものを大事にしていくことこそ、
この社会を生きて、未来を明るく晴らしていくために必要な事だという、子どもたちへのメッセージ。
『人間が誰しも本心でもっている愛を優先して、繋がっていけば、ぼくたちは大丈夫だ』
『大人も、子どもも、そうなっていこう』
という、監督のメッセージを感じます。
【須賀が表しているもの】
ここまでの須賀への謎解きで、
須賀というキャラクターが表現しているものは
この社会の『大人』
であると考察しています。
・・・つまり、社会のセオリー(常識)を優先し、
この社会に従って生きるうちに、
愛を犠牲にし、大事なものを大事にすることができなくなってしまった、
現代の大人たちを象徴的に表しているキャラクターであると、考察しています。
・・・そして須賀は最終的に
大人になって、帆高を諦める立場から、
帆高に協力する立場に、変化します。
この須賀の変化から、
「この社会のセオリーに染まって、大事なことを犠牲にできるようになった大人」が、
「大事なものを大事に出来る、愛を優先できる大人」に、
変わる事が出来た。
という、大きなメッセージがあります。
【精霊馬は誰がおいたの?】
晴れ女をつかさどる祭壇(?)には、
陽菜が晴れ女になる前から、精霊馬がお供えされていました。
※精霊馬とは、茄子ときゅうりで作った、馬のことです。
いったい誰が、精霊馬をお供えしたのか?
という事もまた、聴衆の疑問だったと思います。
・・・これは、上記の考察から、
「須賀が精霊馬をお供えしていた」と考えると、つじつまが合います。
奥さんが晴れ女となり、人柱となってしまい、
その奥さんを思う気持ちから、あの祭壇に精霊馬を供えていたのではないでしょうか?
【K&Aプランニングという須賀が営む会社の社名の由来】
これは単純に
須賀圭介の名前の「K」
奥さんの名前、明日香の「A」
という事で、K&Aという事なのだと、思います。
【帆高と須賀は、どこが似ているのか?】
主人公の穂高と須賀は「この二人はよく似ている」と、周りから言われる描写があります。
どこが似ているのか?という謎についてですが、
過去の経歴という部分もそうですし、
なにより「本音では、愛を優先したい二人」という事だと、解釈しています。
そして、それぞれその本音を持ちながら、それに対する選択が違ったという事が、対になっています。
【エンドロールの須賀の順番の謎】
須賀について、特に謎だと思わせるのが、
物語が終わった後の、エンドロールで表示される順番が、
須賀圭介はなぜか、最後。
という事ではないでしょうか?
物語を表面的見れば、須賀は、
帆高、陽菜につぎ、3番目くらいに表示されていそうなキャラクターですが、
実のところ、全登場人物の中で、最後に表示されていました。
…これは、メッセージ性を感じてしまいます。
ぼくは、須賀の声優を務めた「小栗旬」さんが、ぼくの母校の卒業生ということもあり、応援していたこともあり、
『エンドロールでしっかり名前を見たいな』という願望がありました。
そしてエンドロールを追っていたのですが、
『え、小栗旬(須賀圭介)最後なの?』 と、思いました。
さて、ここには、どんなメッセージが隠されているのでしょうか?
エンドロールの須賀の順番に隠された謎の解説
須賀は、「天気の子」の、もう一人の主人公。
という事なのだと解釈しています。
だから、サブキャラとしての、3番目あたりの妥当なエンドロールのポジションではなく、
「最後」というポジションだったのだと、考察しています。
先述した通り、
この映画は「子ども」と「大人」が、印象的に分けられて描かれています。
そしてさらに先述した通り、
須賀は「現代社会の大人」を表しており、
一方の帆高は「現代社会の子ども」を表しています。
主人公の帆高というキャラクターを通じて、
「子どもたちは、この社会でどう生きればいいのか?」というメッセージを伝え
須賀というキャラクターを通じて、
「大人たちは、この社会でどう生きればいいのか」というメッセージを伝えているのだと、ぼくは解釈しています。
つまりは、
子どもサイドの、表の主人公が、帆高。
大人サイドの、裏の主人公が、須賀
ということなのではないか?と考察しています。
そして、子どもには
「社会のセオリーから外れようとも、愛を優先し、与える事を優先し、大事なものを大事にして、繋がって生きよ」
というメッセージを。
そして、大人には
「社会のセオリーに染まってしまっていたとしても、これから抜け出せる。
愛を優先し、与える事を優先し、大事なものを大事にして、繋がって生きよ」
というメッセージを、この映画を視聴している「子ども」と「大人」へ、それぞれ送っているのだと考察しています。
【「ぼくたちは大丈夫だ」の意味】
この物語は、「ぼくたちは大丈夫だ」という、突拍子もないセリフで、締めくくられます。
「なにがやねん」
「何が大丈夫なのか?」
…という疑問を持たれた方も、多いと思います。
「大丈夫」って、捉え方によっては、すごく投げやりに聞こえる言葉です。
見方によっては、監督が、答えを出すことを諦めたかのように見える、言葉です。
「大丈夫」の意味の考察
最後のシーンの、帆高の「ぼくたちは大丈夫だ」の意味を考察するに、
帆高が最終的に決断した、
「愛を優先して、愛のある関係性を繋げていく」
という、この姿勢があるから、
この社会でぼくたちは希望をもって生きていくことができる。
だから、ぼくたちは大丈夫だ。
・・・という意味で、
この映画の問いかけへの答えとして
「ぼくたちは大丈夫だ」
で締めくくられたのだと、考察しています。
この雨が降る、閉塞感のある暗い社会。
未来への希望(晴れ)が見えない、この社会。
大事なものを犠牲にすることで成り立っている、この社会。
こんな社会でも、
「愛を優先し、人と繋がり、大事にし続ける関係性を広げていく」という方向性を貫けば、
互いに互いを、支え合い、
互いが互いに、与えあい、
互いが互いを、愛し合うことで
ぼくたちの未来は、大丈夫になる。
希望(晴れ)が見えるようになる。
そして、この関係性が広がっていくことで、
いつしかこの社会も、大丈夫になる。
・・・という、問いかけへのアンサーでもって
「ぼくたちは大丈夫だ」というセリフがあるのだと、ぼくには見えます。
【新海誠作品に共通している「モヤモヤ感」の正体の考察】
新海誠監督あるあるですが、
この「天気の子」もまた、全体的に「モヤモヤ感を覚えさせる演出」が多かったように感じます。
演出のほかにも、
謎のあるシーンだったり
意味深なシーンだったり
・・・そういった全体的な要素が、この「モヤモヤ感」を演出していると考えています。
『新海誠監督の作品に通じる、モヤモヤ感は何なのか?』
…この部分について、ぼくなりの解釈があります。
新海誠監督「天気の子」みてきました。
やっぱり背景の描写が凄まじい。
個人的に新海誠監督は「モヤモヤ感の表現のスペシャリスト」だと思っていて、誰もが感じているような、いないような、深い所で共感できるそういうモヤモヤ感の表現力がすごいなって。
メッセージ性については考察が必要ですね。 pic.twitter.com/8KEwmwEkgh— かつぜん (@rinrism) August 14, 2019
ぼくのTwitterでも述べましたが、
新海誠監督は「モヤモヤ感の表現のスペシャリスト」だと、ぼくは思っています。
つまり、どういうことかと言うと、
- 誰しもが心の奥底で感じている、思い
- 誰しもが心の奥底で悔いている、過去
- 誰しもが心の奥底で抗っている、現実
- 誰しもが心の奥底で願っている、未来
など、誰しもが、
気づいているか、気づいていないかくらいの、無意識レベルの心の奥底で感じている【思い】を、
映画で芸術的に表現している事が、この「新海誠作品のモヤモヤ感」の正体であると、考えています。
この「天気の子」に照らし合わせて考えてみれば、
この社会を生きるほとんど全ての人の共通の思いとして、
- この社会は、このままでいいのか?
- 自分の未来は、明るいのだろうか?
- しっかり考えなくてはいけないけれど、考えている余裕がない。
という、ぼんやりとした思いや不安や葛藤を、抱えていると思います。
そして、その【思い】を新海誠監督が映像作品として表現したのが「天気の子」であると思っています。
・・・こういった心の奥底にある、
モヤっとした、掴みづらいテーマを表現するという分野において、
新海誠監督は、まさに天才であると思っています。
以前の作品までは、そのモヤモヤの焦点を「恋愛」に置いた作品が多かったように感じます。
そして、今回の天気の子では「社会の現実と未来」というものに焦点を当てています。
作品を重ねるごとにテーマと価値が深まっていく、新海誠監督の今後の活躍が、本当に楽しみです!
【「もともと、世界は狂っている」の言葉の意味の考察】
須賀の最後の方の印象的なセリフで
「自惚れるな、お前たちが世界の形を変えたなんて思いあがるんじゃねえ」
「もともと、世界は狂っている」
というセリフがありました。
そうです。世界は、この社会は、もともと狂ってしまっています。
・・・こんな社会の、犠牲になる必要なんてない。
という、監督の強いメッセージを感じます。
この映画が、7月19日という、中高生の夏休みシーズンに公開されたことにも、集客の目的以上の意味を感じます。
日本が抱えている現実の問題として、
夏休みが明ける9月1日は、
中高生の自殺が、最も増加する日です。
本当に重く、本当にどうにかしなくてはならない問題です。
この社会の歪みのしわ寄せが来てしまう、弱い立場である若者。
この社会に希望を見いだせなくなってしまった、若者。
彼らが未来の希望を抱けるようになるために、
その答えを持った「天気の子」という作品を、このシーズンに公開したのではないかと、ぼくは思います。
まとめパート
長くなってしまいましたが、以上の考察から、
天気の子は
この「暗く、閉塞感のある社会」の中を生きる
子どもたち、そして大人たちは
未来のために、どう生きたら良いのだろうか?
自分や他人を犠牲にせず、
大事な人や、大事なものを犠牲にせず、
この社会で、どうやって生きればいいのだろうか?
そしてその「答え」とは?
⇒
「愛を優先して、愛のある関係性を繋げていく」
この方向性で生きれば、ぼくたちは大丈夫だ。
というテーマ(問いかけ)とメッセージ(アンサー)を持った、
聴衆に〈当事者〉として考えさせ、参加させる映画であったと、考察しております。
挑戦的なテーマでしたが、
でも、公開34日目にして、100億円を突破したそうです。
参考
世界も注目!「天気の子」が公開34日目で興行収入100億円を突破live door NEWS
…これはきっと、多くの人が〈当事者〉として、この映画のテーマに関心を持ったがゆえの、結果だと思います。
ここに、希望を感じます。
まさに、今の我々が生きる社会は、
この映画の中のように、雨が降り続いている状態です。
この社会には様々な問題があり、解決されずに長期化しています。
ほとんど全ての人が、心の奥底に「生きづらさ」「息苦しさ」を感じていると思います。
例を挙げるならば、
ぼくが特に見過ごせないのは
- 日本の若者(15歳~24歳)の自殺率 ⇒世界一
- 日本の精神科の患者数(世界の患者の5人に1人が日本人) ⇒世界一
という重く大きな問題です。
他にも日本は、数々の、酷い世界一を記録してしまっている国です。
(食品添加物の種類、遺伝子組み換え食品の種類、水道水の塩素濃度、農薬使用量、残飯廃棄量、ペットの殺処分数など、それぞれが世界一、など)
狂ってしまっています。
そして、『大事なものを、目いっぱい大事にすることが出来ていますか?』という問いかけに、
心からYESと答えられる人は、ほとんどいない社会です。
こんな社会でも、
「自分は大丈夫」と思えるかもしれません。自信があるのは良い事です。
でも、考えてみてほしい。
あなたの大事な人は、大丈夫じゃないかもしれない。
あなたの大事な人の大事な人は、大丈夫じゃないかもしれない。
こんな社会では、大事な人を守り抜ける、自信が持てない。
本当は、この社会を作っている人たちが変わらなくてはいけない
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神も どこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず‐ラッドウィンプス「愛にできることはまだあるかい」の歌詞より‐
でも、この社会を作っている偉い人たちは、
この現実を分かっているくせに、何もしてくれない。
・・・
だったら、この社会で生きていくために、
我々は、繋がっていかないといけない。
互いに愛を優先して、
互いに与える事を優先して、
互いが互いを保障する事を優先して、
繋がっていかないといけない。
この「繋がり」を拡大し続ける事こそが、
本当の意味で、私たちを、そして社会を、大丈夫にしていく。
この社会と、この問題に対して、
当事者として向かい合って、
そして、繋がっていこう。
・・・この映画と同じように、ぼくもそう考えています。
『愛の方向性で繋がり続ける』
これこそが、いまぼくたちに必要な事だと、強く思います。
これまで、いろんなテーマでブログを書いてきて、
共感してくれて、メッセージや相談をくれて、実際に繋がる事が出来た人が、たくさんいます。
本当に嬉しい事です。
もっともっと活動を拡大して、
もっともっと繋がっていきたいと、強く願います。
その一環として、ブログ更新はもちろん
メールで悩み相談を受け付けたり
YouTubeでぼくが学んできた人生の知恵を配信したり
Twitterとinstagramを更新しています。
ぜひ、何か共感するものがありましたら、
お気軽にコメントやメールをください(^^)
愛にできることは、まだあるかい?
ぼくにできることは、まだあるかい?
愛にできることは、まだあるよ。
ぼくにできることは、まだあるよ。
長くなりましたが、
読んで下さり、ありがとうございました。(^^)
ラストシーンで 大学生になる帆高と 親がいない高校生の陽菜が再会して 大丈夫だという曲を流すのってすごいなと思います。 陽菜と凪は生活費をどうしているのか それを映画では述べていなくて
「お前らが帆高にさわるんじゃない」と言った須賀さんが身元保証人になられているのかと。 猫の雨が招き猫となって事務所の仕事を大幅に増やして、 その結果 陽菜と凪の面倒を見ることができて。
貫禄ついた雨を見たらその展開に納得できるかと (猫の恩返しの話だったりして)
帆高が身寄りのない雨を ほっておけなくて 事務所に置いて、 その結果うまくいったわけで。
ほっておけない と思うことでうまくいったわけで
ほっておけない がメインテーマだと思います
hukuさん
コメントをありがとうございます!
それもまた、1つの「観え方」ですね!
人間、実は一人一人、この「観え方」が違っています。
同じものを見ても、受け取り方は、十人十色、多種多様です。
そして、それが素晴らしいなって、それが人間の個性の素晴らしさだなって、ぼくは思います。
そして、そう言う「観え方の多様性」「受け取り方の多様性」というものを生み出してくれる、新海誠監督が描くような芸術作品は、本当に価値があるなって、思います。^ ^
「ほっておけない」というテーマも、とても共感します。
これは、人間に、本当は誰しもに備わっている感情だと思います。
この感情は大事な感情です。
この感情を大事にできる人がたくさん増えるような、社会にしたいなって思います!