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千と千尋の神隠し【電車のシーンの謎とメッセージ】考察・解説

千と千尋電車

以前に書かせて頂いた「千と千尋の神隠しの神隠しのメッセージ解釈」の記事へ、先日コメントを頂きました。
(沢山のコメントを頂き、誠にありがとうございます!)

そのコメントにて、『電車のシーン』についての質問を頂きましたので、
そのシーンについての、僕の考察と解説を、書かせて頂きます。

本当は、その記事に《追記》として書こうと思っていましたが、
想像以上に文章が長くなってしまいましたので、新しい記事として、書かせて頂きます。

ちなみに、前回の千と千尋の神隠しの記事はこちらです。

千と千尋の神隠し【謎解き・考察】~宮崎駿が伝えたかった事~

 

確かに、『物語の終盤に千尋たちが電車に乗るシーン』は、
印象的で、謎が多いですよね。

 

千尋が、ハクを救うために、銭婆に会いにいくために、
釜爺からもらった電車のチケットを利用して、電車に乗ります。
カオナシと同じように、顔の無い、黒くて半透明な、何もしゃべらない乗客たちが、乗っています。

・・・意味深で、なんだか不気味なシーンだと感じています。

 

このシーンを見ていて気になる「謎」ですが、

  • この電車は、何を表しているのか?
  • この乗客は、何を表しているのか?
  • この電車は、どこに向かっているのか?
  • 駅名の意味
  • 沼原駅で、ほとんどの乗客が降りている意味
  • 帰りが無いとは、どういう事か?
  • 「中道」という、電車の表札の意味
  • 運転手の意味
  • 電車のシーンで、宮崎駿監督はどんなメッセージを伝えたいのか

という事だと思います。

これもまた全て「僕の主観」ですが、それぞれの謎について考察し、解説を書かせて頂きます。

参考 海原電鉄ピクシブ百科事典

 

電車の意味。電車は何を表しているのか

⇒まず、『電車』というものを表現する事で、どんなメッセージを伝えようとしているのか?

という所から、僕の解釈を書かせて頂きます。

 

千と千尋電車

千と千尋レール

電車と、乗客と、真っ直ぐなレールの映像が、印象的に描かれています。

 

 

この電車のシーンを通じて

『自分の意思とは関係なく、自分の人生が進んで行ってしまう、社会システムの存在』

というものを、表現しているのだと、僕は解釈しています。

 

ちなみに、社会システムとは、
社会のルール、社会の常識、社会の価値観、などという、
社会が決めた、社会の仕組みです。
この記事で特に触れている資本主義も、社会システムの1つです。
社会システムは、支配する人たちが人々をコントロールする事を目的に作られています。

 

・・・さて、考察を始めます。

電車は、当然のように、“乗っている人”は運転できません。
つまり、自分の意思とは関係なく、レールに従って、ある意味強制的に、目的地に向かって行くものです。

この『電車・レール』というもので、
『社会の仕組み・社会の流れ』というものを、表していると、僕は解釈しています。

 

この社会を疑わずに、この社会で生きて、
この社会の常識に従って生きるという事は、
それは、社会と言う『電車に乗せられ』
社会の流れと言う『レールに従って生きている』のと、同じことです。

『〈一般常識・ルール〉と言うレールに従って生きている』と言えば分かりやすいでしょうか。

 

宮崎駿監督は、
この電車のシーンによって、それを表現したのではないでしょうか?

 

・・・例えば、

もし、あなたが自分の意思を押し殺して、
『社会』という電車・レールに乗せられているとします。

社会の決めた価値観に従い、社会の決めた人生観に従い、社会の決めた幸福観に従い、
まるで満足していないけど『人生、こういうものだ』と自分を納得させながら、最低では無いそれなりの生活は、送れると思います。
しかしその中では、『本物の自分の人生』を生きる事は、出来ません。

『自分は誰で何をしたいか』という事も分からず、やりたくない事を渋々とやり続ける。
『やりたい事』が分かっても、社会のネガティブな常識によって、それを目指す事が出来ない。

そして、電車に乗って、レールに従って進むように、
日々が、ルーティン化され、自動的に進んで行く。

・・・ほとんどの人は、こうなってしまっていると思います。

『この社会がぴったり自分に合っている。非常に満足している』という人もいると思います。
しかし、そういう人は、すごく少ないと思います。

 

 

・・・自分の意思で道を決めて変える事が出来ない『電車』に乗って、乗客になってしまっていても、
自分の意思で、唯一、出来る事があります。

それは

「主体的に、自分の目的を持って、その電車を降りる」

という事です。

 

・・・ここは後々、とても大事になって来る部分です。

 

この乗客は何を表しているのか?

千と千尋乗客

この電車のシーンの『乗客のデザイン』を見てみると、単純に分かる事は

⇒『顔が無い、黒くて、半透明な、人たち』という事です。

この人たちは、カオナシと同じタイプの人たち、だと思っています。

 

要するに、この社会で生きる中で、
洗脳され、
名前を奪われ、
「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせられた人たちです。

そして無気力に、社会の仕組み(電車)に、『自分の意思とは関係なく流されて行ってしまっている人たち』です。

 

 

「自分は誰で何をしたい人か?」という事を知らずに、
自分の意思を押し殺して、
そして「自分自身が生きたい人生」を、生きられない状態が続くと、
単純に、エネルギーを失っていきます。

 

『自分は、何をしたいのかが分からない』
『やりたい事があっても、この社会の中、それを実現できない』
『嘘の情報が溢れ返ったこの社会の中、考えても答えが分からない』
『ストレス社会』
『“このままの自分”のレールの先の未来を想像した時に、全然、ワクワクする事が出来ない。』
『モヤモヤし続ける』

こういう事に、なります。

つまり、シンプルに言えば、『エネルギーが減少していく方向性を生きている状態』です。

(エネルギーとは、生きるために必要なものです。栄養とか、やる気とか、元気とか、モチベーションとか、ワクワク感とか、とりあえずそういうものとして、意識してください)

 

  • 自分が誰で何をしたい人かを知らない。
    ⇒顔のない乗客
  • エネルギーが減少していく方向性を生きている。
    ⇒黒い(元気がない)乗客
  • 自分の存在意義を意識できない。本当の存在の価値を感じられていない。
    ⇒半透明な乗客

というように、あの電車の乗客のデザインを、かみ砕いて解釈しています。

 

この電車は、どこに向かっているのか?

この疑問もまた、考察する価値があると思います。

 

この電車と、この電車のレールを、「社会の仕組み・社会の流れ」として考えると、
辛辣な表現ですが、一言で言って、「死」に向かっています。

エネルギーを(元気を)、失い続けた先が、死です。

  • エネルギーが減少し続ける方向性が、死に向かう。
  • エネルギーを増大し続ける方向性は、生に向かう。

(これについては、このブログの、もののけ姫の解釈の記事で、少し詳し目に書いています)

 

 

生きる事は、エネルギーを作る事です。
社会の仕組み・常識・嘘の情報に従って生きていると、
当然のように、『自分が本当に生きたい人生』を生きられなくなります。

要するに、『未来を想像した時のワクワク感』が、無くなって行きます。

 

・・・そして、その状態は、人によって程度は違えども、
大きな方向性としては『エネルギーが減少していく方向性』です。

つまり、この電車のレールの終点は、『死』です。

 

駅名の謎

『登場する駅名』についても、意味深で、メッセージを感じます。

 

千と千尋乗客2

【登場する駅名】

  • 楽復時計台駅(仮称)
  • 油屋駅(仮称)
  • 南泉
  • 沼原
  • 北沼
  • 沼の底

駅の順番は、間に登場していない駅があるにしても、
上から下に、おそらくこんな感じです。

・・・すごく印象的な名前です。
『泉』とか『沼』というキーワードが特に印象的です。

 

単純に、受ける印象としては

  • 泉⇒澄んでいる
  • 沼⇒淀んでいる

という事だと思います。

 

〈考察・解説〉

この駅名を通じて、

『人の心の“淀み具合”の進行具合』を表しているのではないか?

と考察しています。

 

 

【楽復時計台駅(仮称)】

神様的な人が遊ぶ、繁華街的な駅です。キラキラしているそうです。

 

つまり

⇒この社会システムの中の、成功者たちの心を表している

と、解釈します。

 

 

【油屋駅(仮称)】

千尋たちが働く、油屋がある駅です。

 

つまり

⇒その神様(成功者)的な人たちのために、働く人たちの心を表している

と、考察しています。

 

 

皆、名前を奪われながら、疑いもせず、せっせと働いています。

《台詞紹介》
リン「おれいつかあの街に行くんだ。こんなとこ絶対にやめてやる。」

(“あの街”とは恐らく、神様たちが遊ぶ、楽復時計台駅(仮称)のある街の事です)

・・・ここで働く人は、リンがそう言っていたように
『いつかは、楽復時計台駅(仮称)に行きたい』『この社会で成功者になりたい』と願っています。

まだ、希望があり、ワクワク感がある心の状態です。

 

【南泉駅】

  • 南⇒暖かい
  • 泉⇒澄んでいる

という文字の印象から

 

⇒それなりに澄んでいる心の状態

と、考察しています。

 

【沼原駅】

  • 沼⇒淀んでいる
  • 原⇒草木がある

という文字の印象から

 

⇒心が淀んでいるが、小さな希望もあるという、心の状態

と、考察しています。

 

 

【北沼駅】

  • 北⇒寒い
  • 沼⇒淀んでいる

という言葉の印象から

 

⇒心が淀み、希望を感じなくなってきた心の状態

と、考察しています。

 

【沼の底駅】

  • 沼⇒淀んでいる
  • 底⇒これ以上、下に落ちない

という、言葉の印象から

 

⇒心が淀みきって、“絶望”している心の状態

と、考察しています。

 

 

【駅名についてのまとめ】

まとめますと、

この電車・レールは、一言で言って『死』に向かっていて、
駅名で、この社会で生きる人の、心の状態を表しています。

この社会の成功者の心から、
駅が進むごとに、段々と、心が淀み、沈み、
そして、沼の底(絶望した心の状態)に到着するという事を、表現していると思います。

・・・たぶん、その次の次くらいが、『死』という駅なんじゃないかと思います。

 

 

『沼原駅』で、ほとんどの乗客が降りている意味

黒くて半透明の顔の無い人たちは、おそらく全員、

この『沼原』駅で降りています。

何も言葉を発さず、決められたルールに従うように、トコトコと降りて行きます。

千と千尋乗客2

この意味は何なのでしょうか?

 

 

〈考察・解説〉

⇒この社会で生きる、ほとんどの人は、この心の状態だ。

という事を、伝えたいのだと、考察しています。

 

つまり、先ほどの解釈からすると

『心が淀んでいるが、小さな希望もあるという、心の状態』

という事です。

エネルギーを失いながらも、小さな希望の中、生きている状態です。

 

・・・みんな、そうなって、無気力になってしまっている。
と、宮崎駿監督は伝えたいのではないでしょうか。

 

『帰りが無い』という謎

千尋が電車に乗る前の会話で、釜爺が、意味深な事を言っています。

釜爺の謎

《台詞紹介》

釜爺:いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ。
千: 沼の底?
釜爺: とにかく六つ目だ。
千: 六つ目ね。
釜爺: 間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ。それでも行くか千?

 

という会話です。

 

まず、『降りる駅を間違えるな』という事を、念入りに言っています。

ここにつきましては、

⇒物語的に、降りる駅を間違えたら銭婆に会えないから
という事と
⇒降りないで終点まで行くと、死ぬから

と、解釈しています。

 

・・・そして気になるのは、この部分です。

釜爺『昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ』

 

これは、
⇒昔と今の、社会システムの方向性を比較しているのだと思います。

  • 『行きの電車』=沼の底駅へ向かう電車=絶望に向かう電車=死に向かう電車=エネルギーが減少する社会の方向性
  • 『戻りの電車』=楽復時計台駅へと向かう電車=成功者に向かう電車=生に向かう電車=エネルギーが増大する社会の方向性

社会システムが、エネルギーが増大する方向性、つまり生に向かっている事はあった。
つまり、電車と言う、社会システムに従って生きても、生に向かう事が出来る時代はあった。
という事です。

・・・そして
今は、死に向かう方向性の、電車(社会システム)しかない。
という事です。

 

 

〈生に向かう方向性の社会システム〉について。

例えばですが、
昔の日本における、バブル期とかが、そうなんじゃないでしょうか。

バブルの時代は、
普通にこの社会で働いて、当然のようにお金が儲かって、成功者のように良い暮らしが出来る。
自分のやりたい事、快感を、満たす事が出来る。

という時代だったそうです。

僕は経験していませんが、こういう時代が、あったそうです。
本当に毎日が楽しかったそうです。

社会システムという電車に普通に乗って、エネルギーを増大する事が出来た、時代です。

 

・・・しかし、今の社会では、普通に働いて、成功者になれるような気配は、ほぼ無いですよね。

釜爺の、この印象的な台詞は、これを表しているのではないかと解釈しています。

 

 

『中道』という、電車の表札

深読みのし過ぎかもしれませんが、

『社会の中の道』という事だと、考察しています。

千と千尋 中道

 

※追記

この「中道」という言葉を、もう少し掘り下げます。

先述したように、シンプルに「社会の中の道」というのが、僕の中ではしっくり来ていますが、
他にも、捉え方があるなと思い、追記を書いています。

【ほかの捉え方①】

「中道」=「仏教的な教え」
という捉え方。

仏教用語で、「中道」という言葉があります。

参考 中道コトバンク

仏教で目標としている境地であり、スローガンと言っても良い、重要な言葉の1つです。

僕は無宗教ですし、宮崎駿監督の宗教は知りませんが、
この仏教的な観点から、この「中道」という言葉を使ったという可能性はあるとも、思います。

この仏教的な意味での「中道」とは?
僕の、ざっくりした解釈ですと、

『偏らない、ニュートラルな立ち位置で、物事を見る』
という、意識の使い方です。

『分けない考え方』
とも、言えます。

偏ったり、分けたりすると、感情的な対立が生まれ、物事の本質が見えなくなります。
洗脳をされないために、真実の情報を見据えて判断するために、必要な思考法であり、意識の使い方です。

昔の記事ですが、この記事が参考になると思います。

洗脳されない思考法【人生に必要な情報との付き合い方5】

・・・宮崎駿監督は
『社会に流されずに、中道的な見方をもって生きる事が必要だ』
と、伝えたいのかもしれません。

 

【ほかの捉え方②】

『中道』=『どっちつかずの道』=『方向性の定まらない道』
という捉え方です。

先述した『社会の中の道』とも、重複した意味になっていますが、

要は、
『中道』=『社会に流されている状態』『何となく生きている状態』『無目的に生きている状態』

という、捉え方も出来ます。

 

・・・宮崎駿監督は、『中道」がこの捉え方だとしたら、
『社会に流されず、目的をもって生きなくてはならない』

と、伝えたかったのかもしれません。

 

※追記終了

 

 

電車の運転手はどうなるのか

運転手は『制服を着ているが、他の乗客と同じように、顔が無くて薄くて黒い』というキャラクターです。

千と千尋乗客

〈考察・解説〉

役割を持っているが、その他の乗客と同じように、
エネルギーが減少する方向性を生きている人。
というように、解釈しています。

 

『運転手は、この死に向かう電車を運転していて、死ぬのかどうか?』

これは、すみません。いくらでも想像できる部分で、ちょっと僕には分かりません。

ただ、千尋が〈沼の底駅〉で降りる時に、運転手の姿は、おそらく描かれていません。

 

 

電車のシーンで伝えたい事。メッセージ

以上の解釈を総合して、

この電車のシーンを通じて宮崎駿監督が伝えたいメッセージを解釈します。

 

『自分の意思で、自分の目的を持って、社会という乗り物、社会と言うレールから、降りなければいけない』

『さもないと、生は無い』

『本物の人生は無い』

 

という事だと、解釈しています。

 

 

 

千尋は『ハクを助けるために、銭婆に会いに行く』という明確な自分の目的を持っていました。
それによって、主体的に、自分の意思で、電車を降りました。
つまり、社会の仕組み、社会のレールを、自分の意思で、降りました。

そして後々、
洗脳(魔法)を解きはらい、自分の名前も、ハクの名前も思い出す。
という展開に、繋がって行きました。

 

・・・沼の底駅を降りてから、それまでハエドリに持ち上げてもらっていた坊ネズミが、自分の足で歩き始めたのも印象的なシーンです。

 

坊ネズミ

 

『自分の目的を決め、自分の目的に従い、社会と言う電車から自分の意思で降りて、自分の足で〈生の方向性〉に向かって歩む事』

これが必要だという事を、伝えたかったのではないでしょうか。

 

具体的に、“社会で生きる我々”に当てはめて考えた場合。
『無理に会社を辞める』とか、そういう意味では有りません。

『自分のエネルギーが増大する未来を決め、その未来に進む』
という事です。

 

 

社会システム、社会の常識と言うものに囚われずに、

『その自分の選択の先にある未来を想像した時に、エネルギーが減少するか、増大するか』

という事を最優先の判断基準として、今の生活のあらゆることを、自分で選択する。という事です。

 

もし今、エネルギーが減少する方向性を生きてしまっているのなら、
自分の意思で、決めて、計画を立てて、その方向性から『降りる』という事が、必要です。

単純に言えば、
本当はやりたくない事をやっていて、その先の未来にワクワクできないのなら。
計画的に、それを止めて
計画的に、本当にやりたい事を始めて行く。
という、意識を持つ事です。

・・・こういったメッセージを、宮崎駿監督は伝えたかったのでは無いでしょうか?

 

 

・・・以上が、僕の主観による、千と千尋の神隠しの『電車のシーン』の解釈でした!
読んでくださり、誠にありがと言うございました!

宮崎駿監督の作品は、メッセージが本当に深くて、考察するのがとても楽しいです。
また何か、気になる事や疑問がありましたら、ぜひ教えて下さい。

 

では、次の記事をご期待ください!

 

 

《お勧めの記事》

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もののけ姫【謎解き・解説】宮崎駿が本当に伝えたかったメッセージ

 

8 COMMENTS

まおまお

はじめまして、コメント失礼します。
沼の底駅が死に近い駅とするならば、銭婆がそこに住んでいる理由はなんだと考察されますか?とても生きることに希望を見出せないだとか、無気力な人には見えませんでした。彼女は死期が近いと解釈できるということでしょうか?

返信する
宮本創始

まおまおさん。
コメントをありがとうございます(^^)

「銭婆が沼の底駅に住んでいる理由」
ここに関しては、何とでも解釈できてしまう部分だと思いますので、あくまでもぼくの主観という事で、考察させて頂きます!

当ブログの「千と千尋の考察記事」のパート1の方で、ぼくは
・湯婆は人の「欲」を表す
・銭婆は人の「良心」を表す
と、2人について考察していました。

https://rinrism.com/maxim/anime/senchihi

「私たちは2人で一人前なのにね」
みたいな事を、銭婆は言っていました。
そして、
「欲と良心を切り離さずには、生きられない現代社会の問題を表している」みたいな事を、考察しました。

…そこで、
「銭婆が沼の底駅に住んでいる理由」です。

「沼底は死に近い」みたいな事を、僕はこの記事で考察しました。

先述した通り、銭婆は「人の良心」を表現しているキャラクターと解釈しておりますので、

現代社会への風刺として、
『人の良心というものの優先順位が下がり、沈み、良心が死に向かっている、この現代社会』
という事を、表現しているのではないかと、考察しております。

銭婆自体が死に向かっているかどうかは分かりませんが、
銭婆を〈良心を表すキャラクター〉と捉えると、メッセージ的に、僕は納得が行きます。

貴重なコメント、ありがとうございました!

返信する
まおまお

返信ありがとうございます。
『人の良心の優先順位が下がって死に向かっている』
すごく納得しました!

私は銭婆がどん底になった人の最後の希望の光のような役割を果たすような人物なのかと解釈しておりました。
ハクを許してくれたように、許しを与え受け入れる器があってもう一度生きようと思わせてくれるような…
上手く文章にできませんがそんな感じです。(語彙力すみません)

個人的に理不尽なことが多いため、今の私の状況と重ねてしまいました。
今後も楽しく拝読させて頂きます。
ありがとうございました。

返信する
宮本創始

まおまおさん
ご丁寧なご返信をありがとうございます!

良かったです!(^^)

「どん底になった人の最後の希望の光」
銭婆のキャラクターとしての役割というか、沼の底に住んでいる具体的な理由は、これなのかも知れませんね!

社会的に、良心の優先順位が下がって、死に向かっているような状態ですが、
それでも、人を救うのは、誰かの良心であり、
「人の良心という、本当に大事なものの優先順位が、人の中でも、社会の中でも、下がってしまっている」
というメッセージが、読み取れるような気がしました!

僕は、この社会のシステムは、土台から理不尽で出来上がっているように感じています。
そしてその結果、理不尽な現象が高い確率で起こる、社会なのだと思います。
そして、その社会の歪みが、我々国民に来て、理不尽なストレスに蝕まれています。

そのストレスから、
良心の優先順位が低い人は、自分より目下の人にさらに理不尽なストレスを撒き散らし、

良心の優先順位が高い人は、我慢して、耐えるしかない。そして、精神的に落ち込んでいく。

…理不尽な社会システムから始まって、こういう結果になっている、社会なのだと思います。

それでも、良心の優先順位が高い、良い人、良い環境は、存在しています。
そういう人や環境と、繋がることなのだと思います。

・出来たら、今の理不尽な環境から、新しい良い環境に移る。
・それが出来なければ、今の環境に加えて、もう一つ良い環境を持つ。見つける。
・それが出来なければ、まずは一人でも、良い人を見つけて、関係性を築く。

この3つを、僕はお勧めしています!

ぜひまた、このブログに遊びに来て下さい(^^)

返信する
KJ

あんまり深くは考えてないけど、どんな窮地でも人生の先輩がいるってことを感じた。銭婆とか、釜じいもそうだけど、過酷な場所にも、ちゃんと行き先を照らしてくれてサポートしてくれるいい先輩がいる。映像を見てて普通にそう思った。

返信する
JD

初めまして。大学生です。大学のレポートで、ジブリについて考察するというものがあり、自分なりの考察をした後、他の人はどのような考察をしているのだろうと思い、このサイトに来ました。
読んで一言、感銘を受けました。私は正直あの電車について何も考えていませんでした。しかし、あの電車にはこのような深い意味があったのですね。現在の社会での決められたレールに乗るしかないどうしようもなさを一つの作品のたったワンシーンでものがたるジブリ、宮崎駿監督はやはりすごいです!!!
素晴らしい記事をありがとうございました。

返信する
宮本創始

JDさん
ご丁寧なコメントを下さり、ありがとうございます!そう言っていただけて、とても嬉しいです(^^)

もちろん、ぼくの主観による考察ですので、宮崎駿監督が表現したいことと合っているかどうかは、分かりません。
ですが、ぼくにはこのように見えて、そしてそうだったのなら、「社会を良くしたい」という監督の強い意志を感じるシーンです。

影響力のある利己的な偉い人たちが、情報を隠したり、ねつ造したりしているので気付きにくい事ですが、
現実として、今の日本の社会はボロボロの状態です。

【いまの日本における世界一】
・ 若者の自殺率(15~24歳)⇒ 世界一
・ 精神科の患者数(世界の患者の5人に一人が日本人)⇒ 世界一
・ 農薬使用量(アメリカの7倍)⇒ ほぼ世界一
・ 日本の水の塩素濃度(イギリスの10倍)⇒ 世界一 
・ 残飯廃棄量2000万トン(輸入量の3分の1)⇒ 世界一 
・ 食品添加物の種類⇒ 世界一
・ 遺伝子組み換え食品⇒ 世界一
・ ペット動物の殺傷処分数⇒ 世界一

など、調べたところによると、数々のひどい世界一の記録を持っている国に、なってしまっています。
本当に、ボロボロの状態です。

宮崎駿監督は、こんな社会を改善するために、映画という媒体を通じて、我々大衆にメッセージを届けているのではないか?とぼくは思っています。

コメントを下さりありがとうございました!
またいつでも、遊びに来て下さい(^^)

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