千と千尋の神隠し【謎解き・解釈】~宮崎駿が伝えたかった事~

宮本創始です!

今回は「名作の解釈」をテーマに記事を書いていきます。
「強いメッセージ性は感じるけど、意味が良く分からない」という名作や名言って、沢山ありますよね?
それを、RINRISM的に解釈して、その名作や名言をより深く理解できるような手助けが出来ればと思っています。
せっかく名作・名言なのだから、より深く、より多くの人に伝わったら、それを作った人にとっても本望なのではないかと思います。

もちろん、解釈は人それぞれで良いのだと思います。あくまでもRINRISM的な解釈であり、「これ伝えたいんじゃね?」という視点で解釈していきます。あくまでも、あなたの解釈の“手助け”になればと思います。

 

さて、本題です。
私、アニメが大好きです。その中でも宮崎駿監督のジブリ映画は大好きです。
といったわけで、今回解釈するのは
スタジオジブリの名作「千と千尋の神隠し」です!

senchi1

・・・先にお伝えします。
ネタばれ有りです!

 

・・・さて、千と千尋の神隠しと言えば

2001年7月20日日本公開。興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入第1位の記録[2]2016年現在も塗り替えられていない。批評的にも日本国内にとどまらない評価を受けた。第52回ベルリン国際映画祭では金熊賞を受賞。第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。同部門を受賞した唯一の手描きアニメーションであり、唯一の日本のアニメーション映画である。

とにかく、記録的に大ヒットしましたよね。
これは名作です。そのまま何も考えずストーリーで見ただけでも面白いですし、全てにおいてクオリティがとても高いと思います。
そして作中には「強いメッセージ性」を感じるシーンが、多々あります。
これは、宮崎駿監督がこの作品を通じて「何か」を伝えたがっていると思うわけです。

 

 

千と千尋の神隠しの謎・メッセージ性のあるシーン

僕が思う、千と千尋の神隠しの、メッセージ性を感じる、謎めいた部分は

  • ご両親が豚になったシーンの意味
  • 「名前を取られる」の意味
  • なんで風俗店がテーマなの?
  • カオナシってなんなの?
  • 千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの?
  • 湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味
  • 最初赤かったトンネルが、最後色が違うのはなぜ?
  • 千尋が現実世界に戻っても、銭婆にもらった髪留めだけが残った意味

 

などが、この作品の「謎」であり「メッセージ性」を感じる部分です。
一つずつ、解釈していきます。

 

千と千尋の神隠しのテーマ

宮崎駿監督が、この作品を通じて人に伝えたかった事。
すなわち「この作品のテーマ・メッセージ」から、お伝えする事が必要だと思います。

あくまで私の主観ですが
この作品のテーマ・メッセージは

「資本主義経済社会への風刺と警鐘」
「資本主義経済社会の作る“洗脳”からの脱却」
「自分の生まれた意味を、思い出せ!」

であると思います。

過去のRINRISMの記事で書いたように、この社会には、洗脳が溢れています。
宮崎駿監督は、それをどうにかしたいがゆえに、この作品を作ったのではないかと私は思っています。

何事も結論から話すと、分かりやすくなるものです。
とりあえず今は「へー」くらいに思って頂ければと思います。
下記の謎解きと、解釈を読んで頂ければ「そうかもしれない」と思ってもらえると思います。

 

ご両親が豚になったシーンの意味

この映画を見始めて、最初に衝撃を受けるシーンは

「パパとママ、豚になっとる!」

というシーンだと思います。

senchi2

僕は小学生の時にこの映画を見たのですが、トラウマになりそうなくらいの衝撃でした。

そのシーンまでのざっくりした流れとしましては、、、

 

不思議な街に、千尋とご両親が入ってしまって、
屋台っぽい場所に美味しそうな料理が並べられていて、
パパとママが「お、うまそうだな」とか言いながら、ためらい無くその料理を食べ始める。
そして千尋は「やめようよ~」とか言い、止めようとするが、パパママは「うまいうまい」と言って止まらない。
そして千尋が一人で探索していたらハクと出会い「ここにはいてはいけない!」と怒られて、千尋はパパとママの居るところに戻る。
そしたら、パパとママ豚になっとる・・・。

という流れです。
この衝撃的なシーンには、どんなメッセージが込められているのでしょうか?
単純に「魔法のやばい世界に入っちゃった」と捉えるには、もったいないくらい、衝撃的なシーンです。

 

【解釈】
このシーンでは、
「子供なら『そんなの変だ、オカシイ!』とわかる嘘の情報を、疑わずに鵜呑みにする“洗脳され切った大人たち”」
が描かれていると思います。

・・・辛辣な表現にもなってしまいますが、
豚とは、代表的な家畜です。
人に、人のために、飼いならされているのが家畜です。

ほとんどの大人たちは、この社会で生きるうちに洗脳されて、家畜化させられてしまっています。
(辛辣な表現ですみません)
TVの情報、新聞の情報、メディアの嘘の情報にさらされているうちに、嘘の情報を信じ込んでしまっています。

すなわち洗脳され、社会の上の方の人たちにとって都合が良いように、働くように、疑わないように「飼いならされて」しまっています。
そして、子供なら『こんなの変だ!』と素直に思うような嘘の情報を、簡単に信じ込んでしまっています。

宮崎駿監督は、まずそれを伝えたかったのだと思います。
「社会には洗脳が溢れていて、みな洗脳されてしまっている」ということを伝えたかったのだと思います。
気付かぬうちに、社会に飼いならされて家畜化されてしまっていることを、伝えたかったのだと思います。

豚=代表的な家畜

疑わずに、バクバク食べる=情報の鵜呑み
子供なら簡単に「変だ」とわかる事が、分からない大人たち

これが、このシーンの意味だと私は解釈しています。

 

「名前を取られる」の意味

「湯婆婆は相手の名を奪って支配するんだ。いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ」
「名を奪われると、帰り道が分からなくなるんだよ。私はどうしても思い出せないんだ」

この映画では、「名前を忘れてはいけない」「名前を湯婆婆に取られたら、一生この環境から抜け出せない」
という表現が良く登場します。

senchi3

この「名前を取られる」とは、どういう意味が込められているのでしょうか?

 

【解釈】
名前を取られる=自分の生まれた意味を忘れさせる
という事だと、私は思います。

「名前」というものは、その人のアイデンティティであり、個性であり、名付けた親の思いが込められています。
すなわち名前には「自分の生まれた意味」が込められています。

「名は体を表す」のです。
キャプテンと呼ばれれば、だんだんキャプテンらしくなっていくものですし、
社長と呼ばれれば、だんだん社長らしくなっていくものです。
(名前、呼び名というものは奥が深いので、いつか別に記事を書きたいと思います)

・・・この社会には、
この社会に適合するように頑張って生きているうちに
「自分の生まれた意味」を忘れさせる仕組みがあります。
お金のために、生きるために、家族を守るために、常識から外れないようにするために、と頑張って生きているうちに、
「自分は誰で、何をしたい人か」つまり「自分の生まれた意味」という、大事なことを忘れさせられるのです。

宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。

→「名前」を奪われる=「自分は誰で何をしたい人か」という、生まれて来た意味を奪われる
→この社会で生きるうちに、自分は誰で何をしたい人だったか、忘れさせる
→気づいたら、自分の人生を生きられなくなっている
「湯婆婆が支配する湯屋のように、この社会には、この名前を奪うシステムがある」

という事が、伝えたいメッセージだと思います。

 

なんで風俗がテーマなの?

千尋が「湯女」として働くことになる、湯婆婆の「湯屋」は、
表向きには「神様が疲れをいやす温泉旅館」のような環境として描かれていますが
実際のところ「風俗店」であるという裏話があります。

NAVERまとめ(外部リンク)

「湯女」=「遊女」であるらしく、あの湯屋は、風俗店であるらしいです。

senchi4

では、なぜ「風俗店で働く」という事を、テーマにしたのでしょうか?そこに込められたメッセージは何なのでしょうか?

【解釈】
「この資本主義社会は、風俗産業となんら変わりは無い」
という事だと思います。

〈風俗店と資本主義社会の共通点〉
・生きるために、上の存在の快感を満たす世界
・神様的な偉い人のために、身を削って働いている
・それが出来ないと、生きられない
・疑わずにそこで働かせるために、洗脳する
・そして、「自分は誰で何をしたい人か」という「名前」を取られていく。

という事です。

「契約書だよ。そこに名前を書きな。働かせてやる。その代わり嫌だとか、帰りたいとか言ったらすぐ子豚にしてやるからね」

という湯婆婆の、ブラック企業的なセリフが代表するように
風俗店も、資本主義社会も、
「神様的な偉い人」「支配者」の快適な生活のために、その社会で生きる一般人は、生きるために身を削って働かされているという事です。すなわち「搾取」です。
下から上に吸い上げるようにして、生きるために働かせるようにして、この資本主義社会は成り立っています。
ピンと来ない方も、これについてはすこし調べてもらえればわかります。

宮崎駿監督は、それを皆に気付かせて、それに警鐘を鳴らしたかったのだと思います。

 

カオナシって何なの?

「カオナシって何者なの?何なの?」
という疑問は、この映画を見たほとんどの人に生まれる疑問だと思います。

senchi5

【解釈】
「カオナシは資本主義経済が生み出した被害者」
であるのだと思います。

カオナシ=「名無し」
であるのだと思います。
つまりは、先ほどからの解釈と照らし合わせると

「自分は誰で何をしたい人か」が無い存在。であるのだと思います。

 

~カオナシの特徴~
「欲しい」が口癖
「人を食べること(奪うこと)で、ステータスを上げていく」

この社会に適合しようとして頑張って生きているうちに
「名前」が奪われ、「名無し」になり、「カオナシ」になり、「自分は誰で何をしたい人か」という事を忘れさせます。

そして、忘れた上でやることは「欲の追求」です。
『良い女が欲しい、良い車が欲しい、良い家が欲しい』と、
自分の本来の目的「自分は誰で何をしたい人か」という欲求ではなく、
作られた目先の欲を追求するようになってしまいます。

そして「貰う事、奪う事が目的」になってしまいます。
自分第一主義になってしまい、
自分と一握りの身内だけが、得をするように、得をするように、生きるようになってしまいます。
自分より下のものから搾取し、自分を守るために行動し、自分のストレスを解消するために下のものに当たり散らしたり、
簡単に言えば「ブラック企業」が分かりやすいですね。

「もらう事が目的」という事は、それは「価値のある人生」とは真逆です。
価値のある人生とは「与える事を優先する」ことで手に入ります。

 

宮崎駿監督は、
社会には、カオナシのような人「もらう事を優先する人」を生み出すシステムがあるのだと、
伝えたいのだと思います。

 

カオナシとは
→自分の生まれた意味を忘れてしまって人
→もらう事が目的になってしまった人
→奪うことで、ステータスを上げていく

 

千尋のセリフで「あの人は油屋にいるからいけないの。あそこを出た方がいいんだよ」というのがあります。
それは、そういう事です。

この社会に適合して生きようとするから、そうなってしまうのです。
この社会のシステムから抜け、この作られた常識から抜ければ、
今どんなにブラックなカオナシみたいな人も、みな本当は良い人なのです。

 

湯婆婆(ゆばーば)と銭婆(ぜにーば)に分ける意味

ストーリー的には、千尋の職場の支配者の「湯婆婆」には、双子の姉の「銭婆」が居ます。
物語の終盤。千尋は銭婆を訪ね、相談に乗ってもらいます。

senchi6

見た目はそっくりなのに、
湯婆婆の強欲なイメージに反して、

銭婆は対極的に“とっても良い人”ですよね?

そして印象的な銭婆のセリフに
「あたしたち二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」
というのがあります。

湯婆婆と、銭婆
この二人は、何を表しているのでしょうか?

【解釈】
湯婆婆は「人の欲」を表し
銭婆は「人の心」を表す

という事だと思います。

宮崎駿監督が伝えたかったのは
「二面性を持たないと、この社会システムでは生きられない」
という事だと思います。

湯婆婆の強欲で、お金第一主義で、人を大切にしないキャラクター
その正反対の
銭婆の、心を感じられ、愛情があり、質素で、人を大切にするキャラクター

「あたしたちは二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」

そう、「欲」と「心」というものは、全ての人が持っているのです。
しかし、それを切り離して「二面性」を持たなくては、生きられない社会になってしまっているのです。
分かりやすい例だと「ハク」がそうです。二重人格キャラですよね。
千尋に「優しい心」を見せたかと思えば、湯婆婆の元で生きるため「心ない冷徹で効率的」な人にもなる。

資本主義社会は、そうなってしまうシステムがあるのです。
二面性無くして、生きられなくなってしまっているのです。

「会社ではひどい上司だけど、家では良いパパ」
こういう人は、沢山いるのだと思います。

宮崎駿監督は、二面性を持たずしては生きられない社会ではダメだと、言いたいのではないでしょうか。
この社会は、「心より欲を優先するようにさせるシステム」があります。
心も欲も、両方あって一人前の人間です。
しかし、欲を優先するばかりで、心の部分がないがしろになってしまう、社会になってしまっています。

欲も心も、両立できるはずです。
「心を優先する欲」というものは、人間誰しも持っています。心理学的に言うところの「返報性」というやつです。
皆、本来それを持っているのに、その優先順位が低くなってしまっているのです。

欲よりも、心を優先する社会システムは、作れるはずです。
それが、目指すべき良い社会であると私は思います。

・・・カオナシは、湯婆婆の環境を離れ、銭婆の元に居場所を与えられて働くことになります。
そして、描かれてはいませんが、カオナシは本来持っていた「素朴な良い心」を引き出して働いていくのだと思います。

どんな悪い人も皆、この社会システムにいるから、そうなってしまうのです。
この社会システムに間違いがあるのだと、宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。

 

千尋が最後に、豚の中から両親を探すとき、この中に居ないとなぜわかったの?

千尋が「もとの世界に戻るために呪いを解く試練」として、湯婆婆から問題を出されます。

「沢山いる豚の中から、千尋の両親を探し当てろ」という問題です。

senchi8

そして千尋は答えます。

「おばあちゃんだめ、ここにはお父さんもお母さんもいないもん」

そして、千尋の呪いは解けます。

 

 

・・・ここが、見てる人にとって一番の「なんで?」ってポイントだと思います。

なんで千尋は、居ないと分かったのでしょうか?

そしてこのシーンの意味は何なのでしょうか?

 

【解釈】
「千尋は、数々の挑戦を乗り越えて、洗脳(魔法)が解けているから」

という事であるのだと思います。

この社会には洗脳があり、
全ての人が、大なり小なり、洗脳されてしまっています。

それを解くための方法は「挑戦」なのです。
挑戦し、失敗し、反省することで、自分の中の間違った情報に気付くことが出来ます。

そして、その間違った情報に気付き、取り除いて行くことで洗脳から解放されて生き、理想的な人生が手に入ります。
(詳しくは過去の記事を参照してください)

 

千尋は、湯婆婆の作る環境の常識にとらわれず、沢山の挑戦と失敗を繰り返したことで、湯婆婆の洗脳が解けたのです。奪われかけた名前を、取り戻したのです。「自分は誰で何をしたい人か」を取り戻したのです。

・・・その「洗脳から解放された千尋」だから、たくさんいる豚を見た時に「明らかに、ここに両親はいない」と分かったのです。

 

洗脳され切った人と、
洗脳されていない人とでは、
世界の見え方が違います。

宮崎駿監督は、それを伝えたかったのだと思います。

 

・・・ではなぜ、映画を視聴している観客である我々は
「あの中に両親が居ない」と、分からなかったのでしょうか?

 

・・・これは、宮崎駿監督なりの、風刺であり、ブラックなジョークに見えて仕方がないのですが

我々が見えなかった理由は、

「我々が皆、洗脳されているから」です。

・・・これは、笑うところです。

 

あのシーンを通じて
「みんな社会に洗脳されてんだよ!」
という事を、宮崎駿監督は我々に伝えたかったのだと思います。

これは、スタンディングオベーションすべき、ナイスジョークです。

 

→我々は皆洗脳されている
→洗脳下では、「こういうものだ」と思い込み、真実が見えない。
→千尋は、挑戦し、反省し、成長し、洗脳から解き放たれたから、
→皆(観客)が見えていないものが、千尋には見えていて「この中に居ない」と分かった

 

最初赤かったトンネルが、最後色が違うのはなぜ?

最初に訪れた時は、トンネルは「赤色」でしたが、
最後のシーンでは、色が変わっていました。
なぜでしょうか?

senchi9

【解釈】
これもまた、

「洗脳されている人と、居ない人では見え方が違う」

というメッセージであると思います。

これは、さっきの宮崎駿監督の辛辣なジョークの「お詫び」のように感じています。

 

色の違いに気付けたお客さんに、
「ほら、みんなも洗脳から解けて、見え方が変わってきているよ」
という事を、伝えているのだと思います。

 

千尋が現実世界に戻っても、銭婆にもらった髪留めだけが残った意味

これは、なぜでしょうか?

senchi10

【解釈】
「良心から与えたものは、残り続ける」

というメッセージだと思います。

あの髪留めは、千尋の力になってくれた「銭婆」が、千尋にプレゼントしたものです。
物語が終わり、千尋からあの魔法の世界の記憶が薄れても、髪留めだけは残るのです。

「こんな社会でも『心を優先し、与えることを優先する事』が必要だ」
宮崎駿監督は伝えたいのだと思います。

欲よりも、心を優先し、「他のために与えたもの」は、世の中に残り続けるのです。
逆に、欲を優先し、「もらう事」を優先しても、何も世の中に残すことは出来ないのです。

「墓までは持っていけない」というように、
自分だけのために手に入れたものは、
自分が死んでしまえば、自分の物語が終わってしまえば、消えてしまうのです。

しかし、今生きている間に「他に与えたもの」は、世の中に残り続けます。
物やお金もそうですし、
知識や知恵もそうですし、
人を助けたり元気づけたりして与えた「エネルギー」もそうです。

それは、たとえ自分が死んでしまっても、
世の中をめぐり続け、世の中に残り続けます。

「生きている間に、他にどれだけエネルギーを与えたか?」それが、価値のある人生であるのだと思います。
それを伝えたかったのだと思います。

 

最初のシーンと最後のシーンで、変わらずに母にくっついて歩く千尋

最初と最後で、同じシーンが描かれています。
ここでは、何を表しているのでしょうか?

chihiro-last

【解釈】
「そう簡単に変わらないのが、人間」

という事だと思います。

変わるという事は、簡単ではないのだと、言いたいのだと思います。
それでも、挑戦し、反省し、洗脳から脱却し、少しずつ成長し続けることが必要だと、言いたいのだと思います。

 

なんでこんなにまどろっこしいメッセージの発信の仕方なの?

ここまでに書いてきた「宮崎駿監督が伝えたかったメッセージ」。
これが仮に全てが「当たり」だったとして、

「なんでこんなに遠まわしで、まどろっこしいメッセージの伝え方なの?」
という疑問が湧きます。

なぜでしょうか?

【解釈】
「ジブリでさえも、この資本主義社会の中」

という事だと思います。

どんなに人に役立つ良いメッセージを持っていても
それを発信するために、映画を作るためには、
当然、「お金」が必要です。
スポンサーが必要です。
スポンサーは、この社会でお金を持っている権力のある、企業や人だと思われます。

スポンサーからお金を集めるために
ストレートに「この映画のテーマは、資本主義社会の洗脳から脱却です」
といっても、スポンサーはお金を出してはくれないでしょう。

スポンサーのほとんどは、この社会で大儲けしている人です。洗脳から脱却され、今の仕組みが壊れる事が、都合の悪い人です。

・・・又は、そこまで深読みしなくても、単純に「テーマがシビアに見えては、売れない」ということかもしれません。

だから、表向けのテーマは別のものにして、
「本当のテーマのメッセージは、まどろっこしい発信の仕方」をしている
という事だと、私は思います。

 

千と千尋の神隠しのメッセージ・テーマ

以上の解釈と考察を元に、この映画のテーマとメッセージは

「資本主義経済社会への風刺と警鐘」と
「資本主義経済社会の作る“洗脳”からの脱却」
「自分の生まれた意味を、思い出せ!」

という事だと思います。

 

最後に…宮崎駿のイメージキャラが“豚”であることについて

3334216-image0-600x450

103980l

宮崎駿さんが、豚ちゃんが好きだからという事も、もちろんあると思いますが、

「この社会の中で生きている、自分への戒め」
を感じます。

そうすることで、
真実の情報を発信できないこの社会の中でも、
「表現方法を駆使して、発信していこう」としているのではないかと思います。

まあ、ここは深読みし過ぎかもしれません。

 

何度も申し上げますが、ここまでの解釈と謎解きは全て「私の主観」です。
合っているかもしれないし、まるで違っているかもしれません。

 

宮崎駿監督に、「この解釈どうですか」と聞いてみたいです!
「ぜんぜん違います!」
とおっしゃるかもしれません(笑)

 

とはいえ、
ここまで深く考えさせる映画をお作りになられた
宮崎駿は、まさに天才だと思います!

 

長文になってしまいましたが、
読んで下さり、ありがとうございました。

 

宮本創始

Latest Comments
  1. ともえ
  2. yu
  3. sora
  4. honoka

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です